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■京都 千年の誘い

歴史の明暗を別けた鐘はいまも鐘楼に

【方広寺の大梵鐘】

  「国家安康 君臣豊楽」。豊臣秀頼によってこの鐘が造られたのは慶長19年(1614年)。そこに彫られた文字が豊臣家滅亡へのきっかけになったのは有名な話。関が原の合戦のあと、豊臣家との間がギクシャクしていた徳川側は「家康の文字を二つに分けて首と胴を切りはなし、豊臣が君として楽しくという徳川家を呪う文言だ」としてクレームをつけた。

 これが引きがねになって、大阪冬の陣と夏の陣を経て、豊臣家は滅亡することになる。

  歴史の流れを大きく変えた鐘は現在、方広寺の門を入った右側の鐘楼にかかっている。問題の文字の部分は白く囲まれ、下からも書かれてある部分がよくわかる。

 「元はもっと南の、京都国立博物館のあたりにあったのですが、明治17年に今のところにもってきたんです」と住職の木下寂俊さん。方広寺には、天正14年(1586年)豊臣秀吉によって創建された高さ19メートルの大仏が、高さ50メートルの大仏殿におさまり威容を誇っていた。これは奈良の大仏より4メートルあまり高く、遠くからもよく見えたという。

 しかし、いまではその大仏殿の礎石も狭い境内の隅にそっと置かれているだけ。豊国神社の北側にへばりつくようにある方広寺に、かつてのおもかげはなく、訪れる人も少ない。

《所在地》
方広寺 京都市東山区大和大路通七条上ル
(市バス博物館三十三間堂前下車徒歩5分、京阪電車・七条下車徒歩15分)


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