【赤穂浪士の遺髪】
堀川通北大路のバス停から歩いて約10分。大日本スクリーンの本社敷地の一角に「瑞光院 赤穂義士 四十六士遺髪塔跡」と書いた石碑が、きれいに整備されて置いてあった。ここは赤穂・浅野家ゆかりの瑞光院が、山科へ移る昭和37年まであったところ。
瑞光院は、浅野匠頭の内室・遥泉院の親戚という関係で、浅野家の祈願寺になっていたが、元禄14年(1701年)3月の江戸城・松の廊下刃傷事件で切腹した匠頭の衣冠を、大石内蔵助がここに埋めて墓を建立していた。
そして翌元禄15年12月の赤穂浪士の討ち入り。浪士46人(寺坂吉右衛門は切腹していない)のまげの髪をもらい、内蔵助の遺志で主君の墓の傍へ壷に入れた遺髪を納めて石塔を建てたという。遺髪塔も墓も山科に移った瑞光院にいまもある。
遺髪を入れた壷は寺領が次第に縮小されていくなかで、一時、行方不明になっていたが、1909年(明治42年)12月14日の義士祭のさい、桜の木を植えるために穴を掘ったところ偶然見つかった。山科へ移転する時に壷の中を確認したところ、「46人分の遺髪がひとまとめにして入っていた」と瑞光院の前田英覚住職はいう。
大日本スクリーンの敷地には、それまで小さな石碑しかなかったが、昨年12月に同社が立派な記念碑を建立。堀川通りに面してよく目立つ存在になった。ひっきりなしに行きかう車の数には、泉下の赤穂浪士もきっと目を丸くしているだろう。
《所在地》
瑞光院跡 京都市上京区堀川通寺之内上ル
(市バス天神公園前から徒歩3分)
瑞光院 京都市山科区安朱堂ノ後町19−2
(JR、京阪、地下鉄東西線 山科下車徒歩10分) |