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■京都 千年の誘い

絶世の美女の足跡は京都のあちこちに

【小野小町】

 四条通西洞院の南東角に小さな「化粧水」の石碑がある。人も自動車も激しく行き交う一角だが、これに目をとめる人はほとんどいない。ここが絶世の美女、小野小町の別荘があったところで化粧井戸の跡といわれている。平安時代初期、仁明天皇(在位833年〜850年)が皇太子の頃から宮仕えしていた小町にとっては、御所からも近い。この井戸で美貌に磨きをかけたのかもしれない。

 そして30歳を過ぎて「花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(古今集)の心境になってきた頃、宮仕えをやめて山科・小野の随心院のあたりに引きこもった。江戸期の旅行ガイドブック「都名所図絵」には、ここにあった井戸について「女小野小町つねにこの水を愛して艶顔を粧ひし」とあるが、これがいまも随心院に残る化粧の井戸。このほかにも、隋心院には小町ゆかりのものが多い。なかでも、よく知られるのは謡曲「通小町」で知られる深草少将の百夜通(ももよがよい)の話。小町に恋して通い続けたが、99日目で死んだという深草少将。小町は榧(かや)の実で回数を数えたという。その榧の実といわれるものもあり、実には糸を通して綴じていった穴もあいている。

 本堂には小町の晩年の姿といわれる卒塔婆小町座像(鎌倉時代)、多くの恋文を下張りして造られた小野小町文張地蔵尊(平安時代)、本堂の裏には千束の文を埋めた文塚などがある。

 そして深草少将の邸宅があったところが伏見・墨染の欣浄寺(ごんじょうじ)。本堂には恋文の灰を固めて造ったといわれる少将の像(年代不明)、庭には2人の供養塔少将遺愛の井戸などがある。少将はここから直線距離で4キロ余り離れた随心院へ通ったことになる。

 この山科、伏見から北へ、洛北・市原の補陀洛寺(ふだらくじ=小町寺)には、小野小町の壮絶な終焉の遺物が残っている。流浪のはてにこの地へやってきた小町が昌泰3年(900年)、80歳を過ぎて亡くなったといわれるが、倒れていたというころに穴芽の薄(すすき)の石碑がある。

 「吾れ死なば 焼くな埋むるな 野にさらせ やせたる犬の腹こやせ」

 「花の色は…」に比べると、すさまじい辞世の句を残したといわれているが、恵心僧都が野ざらしの小町の亡骸を弔ったという伝説もある。ほかに小野小町供養塔(鎌倉時代)、深草少将供養塔(江戸時代1747年=延亨4年)、小野小町老衰像(鎌倉時代)や、小町の遺骸がしだいに骨になっていく様子を描いた軸など、小町晩年のすさまじさを物語るものがある。

 

《所在地》
随心院 京都市山科区小野御霊町35
(地下鉄東西線・小野下車徒歩10分)
欣浄寺 京都市伏見区西枡屋町1038
(京阪電車・墨染下車徒歩5分)
補陀洛寺(小町寺) 京都市左京区静市市原町
(叡山電鉄・市原下車徒歩10分)

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