【宝篋院(ほうきょういん)】
紅葉の美しいお寺としてよく知られる嵐山の宝篋院。庭の一番奥に2つの石塔がある。右にある五輪塔は楠正行(まさつら)の首塚で、左の三層の石塔は足利義詮の墓といわれる。
楠正行は南朝の武将・正成の息子。有名な「桜井の別れ」のあと、神戸・湊川の戦いで斃(たお)れた父の遺志を引き継いで、南朝のために戦いつづけ、足利幕府を悩ませた。しかし正平3年(1348年、)、北朝・高師直の6万余の大軍と大阪・四条畷で対戦、わずか数千の軍は善戦もむなしく敗退し、正行は多数の矢を全身に浴びて倒れたという。
このとき、かねてから正行が帰依していた善入寺(のちに宝篋院=ほうきょういん)の黙庵がその首を寺に葬った。それが、五輪塔である。その後、やはり黙庵に帰依していた2代将軍・足利義詮が、正行の武士としての生き様を聞き、その隣りに葬るように頼んだのが三層の石塔というわけだ。
南朝と北朝に分かれて戦った2人だが、武将として心の底では相通じるものがあったのだろう。
このほかにも、嵯峨には大覚寺や天龍寺など南北朝に関係する寺が多いが、宝篋院から西へ小倉山の方へ坂道を登っていくと、祇王寺のすぐ隣りに滝口寺がある。ここにも南朝の武将・新田義貞の首塚が建っている。越前で戦いに敗れた義貞の首を、妻の勾当内侍(こうとうのないし)がここに葬ったという。この寺は滝口入道と横笛の恋物語でも知られるが、うっそうとした木々の間の大きな石碑は苔むしていた。
《所在地》
宝篋院 京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9−1
(市バス・嵯峨釈迦堂前下車徒歩3分)
滝口寺 京都市右京区嵯峨亀山町10番地の4
(市バス・嵯峨釈迦堂前下車徒歩20分) |