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| 宇治川派流の岸。坂本竜馬はこのあたりから上がり、目の前の寺田屋へ入った |
薩長同盟が成立して数日後の深夜、一息ついた坂本竜馬が宿所の寺田屋で久しぶりにくつろいでいたところ、幕府に対して不穏な動きをしている竜馬に伏見奉行所が捕り手を差し向けた。入浴中だったお竜(のちに竜馬の妻になる)が急襲を告げる。竜馬は手元に剣がなかったため、拳銃で応戦しながら脱出を図った。しかし左手を負傷してしまい、出血がひどくて近くの材木置き場に身を隠すのがやっと。お竜の知らせで駆けつけた薩摩藩の伏見屋敷に救われて危うく命拾いした。
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| 下板橋を渡ったあたりが伏見の薩摩藩邸だった |
実際に寺田屋から薩摩藩邸跡まで歩いてみたが、約20分。いまも宇治川派流が町中を流れており、酒蔵も残っているが、大けがをした竜馬にとっては大変な逃避行だったようだ。
このあと結婚した2人は九州へ新婚旅行に出かける。傷の治療を兼ての旅行だったが、これが日本人初の新婚旅行といわれている。しかし竜馬の安穏な日は長続きしなかった。
第二次長州征伐にも失敗して劣勢に立った幕府はなんとか権力温存の策を練った。その結果が慶応3年(1867年)10月、穏健な形での倒幕を目指していた坂本竜馬らの意見を反映した土佐藩の勧めに応じた大政奉還である。倒幕連合軍が形成され、一方では倒幕派公卿の岩倉具視らによって、前年即位したばかりの幼い明治天皇から倒幕の勅命を得る工作がすすんでいた中での決断である。
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大広間一の間(二条城提供) |
将軍徳川慶喜は二条城大広間一の間に在阪の藩主や重役を集めて大政奉還を決定。10月14日に朝廷への上奏文を提出し、同10日にこれが認められた。このときの部屋は二条城に残っている。
岩倉具視らの画策で倒幕の密勅が出たのは大政奉還奏上のその日。これによって武力倒幕を目指した薩長勢力の思惑は肩すかしをくってしまった。
岩倉具視の邸は左京区岩倉に残っている。皇女和宮を徳川家に嫁がせた黒幕として、一時は尊王派の志士から命を狙われ岩倉に潜んでいたが、起死回生を期した倒幕勅命の工作は失敗した。
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近江屋跡に建つ石碑 |
このような慌しい中で、事件は起こった。11月15日の近江屋事件。河原町通四条上ルの近江屋で話し合っていた坂本竜馬と中岡慎太郎のもとに刺客が飛び込んだ。竜馬はいきなり額などを切られ、それでも戦ったが絶命。中岡も2日後に死亡した。明治維新の大きな動輪だった2人が斃れたところは河原町通の繁華街、歩道の一角に小さな石碑が建っているだけだ。
あまりにもショッキングな事件だっただけにその後も憶測を呼び、犯人は新撰組、また武力倒幕の邪魔をされた薩摩藩士だったという説まで出たが、結局はっきりはしていない。事件の数日前、竜馬は目と鼻の先の土佐藩邸に潜むように忠告されてもいたが、なぜか移ることはなかった。
武力倒幕派の薩長は、大政奉還で朝廷に温存された親幕府勢力の一掃を狙って年末にクーデターを起こした。12月8日深夜に両藩兵を中心に御所を囲み、武力倒幕派の親王や公卿らで朝議を開いて幕府の廃止などを決定。王政復古を宣言し、新政府から幕府勢力の一掃に成功した。
しかし一大名になったとはいえ、江戸城を構え莫大な領地を抱えて強大な勢力を維持している徳川慶喜。一気にその力を削いでおきたいというのが、薩長の思惑でもあった。瀬戸際に追い詰めて暴発させ、たたいてしまう。徳川慶喜から官位を奪い、領地を返納せる辞官納地の命令などでさらに追い詰めていく作戦は着々と進行していた。
【寺田屋】伏見区南浜町263(京阪中書島徒歩10分)
【近江屋跡】中京区塩屋町(阪急河原町徒歩5分、京阪四条徒歩10分)
【薩摩藩伏見屋敷(とくに碑などはない)】伏見区東堺町付近(京阪、近鉄丹波橋徒歩10分)
【二条城】中京区二条城町(地下鉄東西線、市バス二条城前すぐ)
【岩倉具視幽棲旧宅】左京区岩倉上蔵町(市バス岩倉相院すぐ)
<余談>
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二条城 |
「二条城は4つあった?」=二条城といえば、京都観光では人気スポットのひとつ。修学旅行の観光バスなどが駐車場にいつも並んでいる。この二条城は徳川家康が京都での宿所と朝廷の監視のため慶長6年(1601年)に建てたもので、三代将軍家光によって増築されている。
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旧二条城跡 |
ところが、それより以前にも二条城はあった。織田信長が室町幕府将軍の足利義昭のために永禄12年(1569年)、上京区下立室町あたりに「二条御所」といわれる堅ろうな城を築いた。
その後天下をとった信長は上洛したときの宿所と
して天正4年(1576年)、中京区御池通両替町
上ルに「二条御新造」といわれる城を建造したと
いう。
続いて天下人になった豊臣秀吉も天正11年、
御池通西洞院あたりの妙顕寺跡に「妙顕寺城」を
建造している。
二条城は天下人にとっては都でその力を誇示
する大事なモニュメントでもあったようだ。
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