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■ドラマチック京都

千年の都を彩った女性(9) 松虫姫、鈴虫姫

 松虫姫、鈴虫姫という美しい2人の女官にからむお話。鎌倉時代初め、法然上人の弟子だった住蓮、安楽という僧が鹿ケ谷の庵で、「念仏を唱えることで誰でも救われて極楽往生できる」という専修念仏の教えを広めていた。現在の安楽寺の東、如意ヶ嶽の方へ20分ほど行った所にこの庵はあった。「鹿ケ谷の陰謀」で平清盛に流罪にされた俊寛僧都の山荘の近くである。

 後鳥羽上皇の寵愛が深かった松虫姫と鈴虫姫という女官が、この教えに惹かれていったことから事件がおこる。上皇の寵愛がとくに深かったため、御所では他の女官たちの嫉妬が強く、2人の姫はそのような虚飾に満ちた暮らしから逃避したいという思いが日に日に募っていったという。そして、このような思いが頂点に達した。清水寺で聴いた法然上人の教えに惹かれていた2人は、ついに鹿ケ谷の庵へ駆け込んだ。もちろん御所では2人がいなくなったことで大騒ぎ。

 鹿ケ谷の庵で剃髪して出家し、紀州へ隠れてしまったから、上皇の怒りが尋常ではないのは当然。それに加えて既存宗派の新興宗教弾圧策もからんで大宗教弾圧へと発展していく。

 後鳥羽上皇は建永2年(1207年)、法然上人と親鸞聖人を讃岐(高松)と越後(新潟)へ流罪にし、松虫姫、鈴虫姫を出家させた2僧は斬首。住蓮上人は近江国馬渕(近江八幡市)、安楽上人は六条河原でそれぞれ首をはねられた。800年前のこの出来事が「建永の法難」といわれて今日に伝わっている。

 

住蓮山安楽寺

許されて都に戻った法然上人が、2僧の霊を弔うため建立したのが現在、左京区の鹿ケ谷にある安楽寺。正式には「住蓮山安楽寺」という。このようないきさつは、同寺に伝わる「松虫姫 鈴虫姫和讃」の中で、七五調の調べで語られている。境内には両上人の供養塔松虫姫、鈴虫姫の供養塔が建っており、本堂には江戸時代の作といわれる4人の木像も安置されている。2人の姫が好きだったというゆりの花が生けられていた。

 ところで、2人の女官のその後だが、いろいろな説がある。ひとつには、「法難」の原因をつくった責任から、鹿ケ谷の庵で自害したというもの。しかし、同寺の伝承では広島・尾道市の生口(いくち)島にある光明坊で念仏三昧の余生を過ごしたという。現在はしまなみ海道の橋脚の島として交通の便がよくなったが、昔は都から遠く離れた孤島だったのだろう。

 「安芸の国なる 厳島 光明三昧 院につき 住蓮安楽 二方の 菩提を弔い たまいしに…」(安楽寺 松虫姫 鈴虫姫和讃)

 松虫姫35歳、鈴虫姫45歳で亡くなったという。

 当時は貴族中心の仏教で、一般庶民や新興武士、女性たちには救いの道がなかったが、念仏を唱えることで誰でも救われるという法然上人の教えはセンセーショナルな反響をよんだらしい。それに加えて住蓮、安楽という2僧は声明(しょうみょう)の声が非常によく、女官の間でも大層な人気だったらしい。

 実際、女官たちが出家してしまったという史実があったのは間違いなうようだ。ただ松虫姫、鈴虫姫という美しい女官が実在して引き起こした法難だったのかどうかは、議論の分かれるところではある。

【安楽寺】左京区鹿ケ谷御所ノ段町(市バス錦林車庫前徒歩10分)


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