2008年7月16日
ケーキハウスツマガリ社長 津曲 孝さん(57) (3)洋菓子の世界へ
必要に迫られ技術習得
先輩に言われるまま入ったヒサモト洋菓子店ですが、運がよかったと思います。社長は、日本洋菓子協会連合会長も務める人で、スタッフも菓子作りに一生懸命な人が多かった。
カスタードクリームも道具の名前も知らない状態でしたが、知らなくてよかったと思います。例えば道具の使い方。菓子作りの作業のとき、「なぜこれが必要か」が分かり出すと理解が早くなります。人間は分かったふりをすると身に付きません。欲すれば身に付くのです。
後年、エーデルワイス(神戸市)に入ってから、スイスの老舗菓子店へ修業に出してもらえました。まったく言葉が通じない中に1人放り込まれてもやっていけたのは、言葉を吸収しないと生きていけなかったからです。真に切羽詰まったら、言葉も技術も覚えるものだと感じました。
このころは知識がなかったので、仕事に好きも嫌いもありませんでした。ひたすら目の前のことをやる。こなしているうちに自分の形ができ、人からほめられて好きになる。
仕事ができないうちから、好きも嫌いもありません。愚痴を言ったら、脳みそはストップします。今も店の若手には「仕事は好きにならないとやらないというのはウソだ」と言っています。
ヒサモトには4年間いて、次にエーデルワイスへ入りました。ヒサモトに誘ってくれた先輩から、将来店をもったらお前を工場長にしたいからエーデルワイスで勉強しろ、と言われたからです。
集団就職にしても、洋菓子店に入ったことにしても、私の人生は人から言われたこと、頼まれたことに打ち込んだだけなんです。目的をもってやったことがない。自分のためにやるよりも、人のためにがんばった。その方が人間は手を抜かない。
それに、頼まれたことを一生懸命やる方が人に喜ばれる。人が放っておかないからね。貧しかった子供時代、祖母がよく「恩は忘れるな、貸しは忘れろ」と言っていたことが、頭にあったのかもしれません。知らず知らず、商売の極意を学んでいたのだと思います。
(聞き手 内山智彦)
(2008年7月16日 15:18)
Category:いま、語る関西人国記
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