2008年7月28日
立花エレテック社長 渡邊 武雄さん(63)(1)少年時代
中1で実業界を志す
わが家のルーツは鳥取県の米子に近い「大山口」というところです。祖父の代に大阪に出てきて財閥の鴻池家の執事をしていたのですが、肺病を患った父が療養を兼ねて東大阪市の鴻池新田に住むようになったのです。私もそこで生まれ育ちました。家は田んぼの真ん中にあり、いわば私は“自然児”でした。
父は農大を出ていて、若いころは外国で牧場をやりたいという夢を持っていたようですが、家業として製粉製麺工場をやった後に養鶏場を始めました。私も動物が好きで、小学校高学年のころには伝書バトを100羽近く飼っていました。ただ、家業は苦難の連続で、資金繰りの厳しさや手形の不渡りなどを身をもって体験しました。
姉と弟がいて私は長男でしたから、家業で何かあるときは私が父の代理をすることもよくありました。例えば小切手を切ったりとか。5、6歳だったと思いますが、用事を言いつかって母の実家がある名古屋に1人で出掛けたこともありました。
また家業を通じて、顧客を大切にしないといけないということも学びました。父がいないとき、お客さんの苦情は長男である私のところに来る。それで私が父と顧客の間に立ち、いろんな問題の解決に奔走しました。
こんな環境で育っていくうちに、私は「将来は実業界で生きよう」と心に決めたのです。中学1年のころでした。父もそうでしたが、わが家はどちらかといえば夢を見がちな家系で、学究肌の人も少なくなかった。一族に1人くらいはお金のことをきちんと分かっている人間がいなくてはと思ったからです。
一方で父は私を厳しく育てようとしました。富山県高岡市に「国泰寺(こくたいじ)」という臨済宗の名刹(めいさつ)があり、中学時代には夏休みに2回、父の意向でこのお寺に預けられました。朝4時起床でご飯も満足に食べられないという生活。あまりの厳しさに何回か脱走を試みたこともあったほどです。
中学時代には「モペット」という排気量50㏄のバイクがはやっていて、それがほしくてたまらなかった。すぐに大阪府庁に行って許可書を申請し、父にモペットを買ってもらいました。うれしくて、モペットの横で寝起きしたこともありました。買った翌日には自宅から京都、若狭、鳥取を周遊して1日で700キロを走破したほどでした。
(聞き手 森田晶宏)
【プロフィル】渡邊武雄
わたなべ・たけお 昭和20年、大阪府生まれ。府立四条畷高校、関西学院大学文学部を卒業。43年に立花商会(現立花エレテック)入社。人事部門を経て同社の海外事業の立ち上げに参画し、平成8年に取締役海外本部長。常務、専務を経験しないで12年6月に社長に就任した。趣味は読書や狩猟、ゴルフ、ドライブ。
(2008年7月28日 14:13)
Category:いま、語る関西人国記
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