産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)

立花エレテック社長 渡邊 武雄さん(63)(2)社会勉強

起業を念頭に置き就職

 高校は大阪府立四条畷高校に進み、部活動の柔道や家業の手伝いに明け暮れ、昭和39年には関西学院大学文学部に進学しました。私がいたころの四条畷高校は周りが田んぼで、女性はモンペ姿でしたが、関学は雰囲気がまったく異なっていました。芝生がきれいで、おしゃれでアカデミックな学舎。女子学生はワンピース。「日本にこんな場所があるのか」と、すっかり魅了されてしまいました。

 ただ、私は中学生のときから将来は実業界で生きようと心に決めていたので、「学問よりも社会勉強」とばかりに、ありとあらゆるアルバイトに飛びつきました。工場で油まみれになって作業したり、レストランや飲食店の店員、バーテンダー…。10軒はやったと思います。世の中にどんな仕事があって、どうすればいいのか知りたかった。

 中でも特に印象に残っているのは大阪・梅田の地下街にあったコーヒーショップでのアルバイト。ここの雇われマスターがすごいアイデアマンで、いろんな知恵を出しては売り上げアップに結びつけていました。

 マスターはのちに有名なラーメン店チェーンの社長となった方で、大きな影響を受けましたね。事業をやる上では、アイデアで勝負すれば勝てるということを教えてもらいました。

 このアルバイトではマスターを説得して、副業としてスペアキーをつくるショップを設けました。チラシを梅田の駅前でまいたりして、最初は日商1000~1500円だったのが2カ月で5万円になりました。

 しかし、アルバイトで金回りがよくなると、繁華街は誘惑が多いので生活がすさんでしまうのです。「このままでは人生がダメになる」。当時としては珍しかった学生結婚をして生活を落ち着けて、「まずは会社員になって他人のふんどしで商売を覚えよう」と考えたのです。それでも、いつか独立したいという夢は捨てていませんでした。

 立花商会(現立花エレテック)を就職先にしたのには理由がありました。私は将来の起業を念頭に置いて、商売の勉強がしやすい従業員数200人程度の会社に入りたいと考えていました。当時の立花商会はそれよりもやや規模の大きい会社でしたが、家庭的な社風が気に入り、最終的に入社を決めました。

 でも、新入社員研修が終わった後に配属されたのは総務部人事係。営業部門に行けると思っていた私は正直がっかりしました。辞令を突き返そうかと思ったほどでしたが、「いったん受け取った以上は3年はやろう」と踏みとどまったのです。

(聞き手 森田晶宏)
 

前の記事:立花エレテック社長 渡邊 武雄さん(63)(1)少年時代 »

後の記事:立花エレテック社長 渡邊 武雄さん(63)(3)海外事業へ »

ホーム

PR 特選情報

アテックス-バナー

フォトニュース

「撮影者:ちか / 撮影場所:大阪府枚方市 / 撮影日時:2007年7月」 井村仁香さん DGR00044G090108D.jpg
DMS00011G090108D.jpg DMS00004G090108D.jpg DKL00010G090108D.jpg
巣山古墳の外堤から見つかった約100メートルにわたって続く葺き石=奈良県広陵町 「関ヶ原」1年前の書状 徳川秀忠、黒田如水あて 正装で1年間の精進を誓う芸舞妓たち=京都市東山区の祇園甲部歌舞練場