2008年7月29日
立花エレテック社長 渡邊 武雄さん(63)(2)社会勉強
起業を念頭に置き就職
高校は大阪府立四条畷高校に進み、部活動の柔道や家業の手伝いに明け暮れ、昭和39年には関西学院大学文学部に進学しました。私がいたころの四条畷高校は周りが田んぼで、女性はモンペ姿でしたが、関学は雰囲気がまったく異なっていました。芝生がきれいで、おしゃれでアカデミックな学舎。女子学生はワンピース。「日本にこんな場所があるのか」と、すっかり魅了されてしまいました。
ただ、私は中学生のときから将来は実業界で生きようと心に決めていたので、「学問よりも社会勉強」とばかりに、ありとあらゆるアルバイトに飛びつきました。工場で油まみれになって作業したり、レストランや飲食店の店員、バーテンダー…。10軒はやったと思います。世の中にどんな仕事があって、どうすればいいのか知りたかった。
中でも特に印象に残っているのは大阪・梅田の地下街にあったコーヒーショップでのアルバイト。ここの雇われマスターがすごいアイデアマンで、いろんな知恵を出しては売り上げアップに結びつけていました。
マスターはのちに有名なラーメン店チェーンの社長となった方で、大きな影響を受けましたね。事業をやる上では、アイデアで勝負すれば勝てるということを教えてもらいました。
このアルバイトではマスターを説得して、副業としてスペアキーをつくるショップを設けました。チラシを梅田の駅前でまいたりして、最初は日商1000~1500円だったのが2カ月で5万円になりました。
しかし、アルバイトで金回りがよくなると、繁華街は誘惑が多いので生活がすさんでしまうのです。「このままでは人生がダメになる」。当時としては珍しかった学生結婚をして生活を落ち着けて、「まずは会社員になって他人のふんどしで商売を覚えよう」と考えたのです。それでも、いつか独立したいという夢は捨てていませんでした。
立花商会(現立花エレテック)を就職先にしたのには理由がありました。私は将来の起業を念頭に置いて、商売の勉強がしやすい従業員数200人程度の会社に入りたいと考えていました。当時の立花商会はそれよりもやや規模の大きい会社でしたが、家庭的な社風が気に入り、最終的に入社を決めました。
でも、新入社員研修が終わった後に配属されたのは総務部人事係。営業部門に行けると思っていた私は正直がっかりしました。辞令を突き返そうかと思ったほどでしたが、「いったん受け取った以上は3年はやろう」と踏みとどまったのです。
(聞き手 森田晶宏)
(2008年7月29日 14:08)
Category:いま、語る関西人国記
この記事と同じカテゴリの最新記事
2008.12.19
2008.12.18
2008.12.17
2008.12.16
2008.12.15
2008.12.05
2008.12.04




