2008年7月31日
立花エレテック社長 渡邊 武雄さん(63)(4)社長就任へ
逡巡の末「しゃあないか」
海外事業をやっていたころ、ウーロン茶がブームになる前に香港から茶葉を輸入してヒットになりました。最盛期には、長さ24フィートのコンテナで月に10本以上も入荷したほどでした。
当時の海外事業はバスダクト(ダクト型のカバーが付いた配線)や電線が当たって、勢いに乗っていました。新しい商材をいろいろ探していたところ、日本の複数の大手飲料メーカーが缶入りウーロン茶を自動販売機で発売する計画があると聞きつけたのです。それで、香港に出張して茶葉業者と交渉し、まとまった数量で買い付けることができました。それを日本の大手飲料メーカーに販売したのです。
一方で失敗もありました。カシミヤのセーターを500着ほど仕入れて、社内向けにテスト販売したことがありました。日本で買うと英国製で5万円もする製品が、香港だと8000円程度で買える。でも、洗濯すると縮んで着られなくなってしまうので、外部への本格販売は見送らざるを得ませんでした。
取締役・海外事業本部長も務め、海外事業には通算26年在籍しました。若いころに事業を立ち上げた最初の1年半を除き、今日に至るまで黒字を維持しています。その間、子会社はシンガポールや香港、中国に広がりました。「これからは海外の時代だ」という私の直言を聞いてくださった佐竹孝雄社長との約束があったので、佐竹さんの信頼を裏切るわけにはいかないし、中途半端に投げ出せなかったことが大きかったと思います。
社長に就任したのは平成12年6月のことです。国際化の進展に立花商会(現立花エレテック)も対応する必要があったのに加え、経営トップの若返りを図ろうという機運が世の中全体で高まっていました。
私の前任の仲田政弘社長は、その前の社長の急逝を受けて65歳で就任しました。当初から「自分は次代へのつなぎ役」と認識されていたようでした。
仲田社長からは1年ほど前からそれとなく言われていましたが、正式に後継を打診されたのは12年1月。「君を社長にするつもりで話を進める」。当時の私は取締役でも末席で、冗談だろうと思っていたのですが、3月末になり「やはり君でいく」と告げられ、仲田社長の決意の固さが伝わってきました。
中学生のころに預けられた富山県高岡市の国泰寺に参拝し、座禅を組んで逡巡(しゅんじゅん)しました。出した結論は「しゃあないな、逃げられんな」。佐竹元社長をはじめ、お世話になった人たちに恩返しをしたい。そんな思いに背中を押され、社長を引き受けようと腹をくくったのです。
(聞き手 森田晶宏)
(2008年7月31日 14:30)
Category:いま、語る関西人国記
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