2008年10月10日
2008年10月 7日
[大阪新聞]未来を目指す インターネット4 (73)
なかでも、このホームページの知名度を一気に広めたのは、この年の11月に開かれた...
[大阪新聞]未来を目指す インターネット3 (72)
そして、迎えた開設。最初のアクセス数は3千。ホームページとしては小さな数字だっ...
[大阪新聞]未来を目指す インターネット2 (71)
大手新聞社の中には当時すでに、ホームページを開いているところもあった。しかし、...
[大阪新聞]未来を目指す インターネット1 (70)
大阪の地元夕刊紙として75年の歴史を歩んできた大阪新聞に、平成8年3月25日、...
[大阪新聞]未来を目指す サイクル・エイド・フォー・アフリカ2 (69)
プロジェクトがスタートしたのは平成9年1月。横山ノック大阪府知事、磯村隆文・大...
[大阪新聞]未来を目指す サイクル・エイド・フォー・アフリカ1 (68)
関西空港の開港。そして2008年五輪の招致や2000年のサミット(主要国首脳会...
[大阪新聞]未来を目指す 宅配に強い夕刊紙 (67)
ここで現在のスタッフがつくる、平成の大阪新聞の特徴をご紹介したい。 一般に、即...
[大阪新聞]未来を目指す ビジネスマンのための夕刊紙に2 (66)
紙面第1号は企業トップらの行きつけの店を紹介する「食発見伝」に谷本健治・ユニチ...
[大阪新聞]未来を目指す ビジネスマンのための夕刊紙に1 (65)
商都・大阪に基盤をおく大阪新聞は、証券面の充実にはじまり、早くから経済情報に力...
[大阪新聞]未来を目指す 新題字 (64)
平成7年は日本人にとって激動の1年となった。新年早々の阪神大震災。東京の地下鉄...
[大阪新聞]隆替の年月 カラー題字・コンピューター導入 (63)
地震の被害を受けた中根社長は、大阪新聞の伝統性を重んじながらも、そのイメージを...
[大阪新聞]隆替の年月 阪神大震災3 (62)
震災から約2週間後の2月1日。神戸駅キヨスクに震災後、初めて大阪新聞が並んだ。...
[大阪新聞]隆替の年月 阪神大震災2 (61)
取材活動は困難を極めた。鉄道、高速道路など動脈が寸断されたため、記者はオートバ...
[大阪新聞]隆替の年月 阪神大震災1 (60)
平成7年1月17日午前5時47分。マグニチュード7・2の大地震が近畿一円を襲っ...
[大阪新聞]隆替の年月 国際花と緑の博覧会2 (59)
開幕後も、会場に常駐記者を置き、連日1面、社会面で会場からホットなニュースを届...
[大阪新聞]隆替の年月 国際花と緑の博覧会1 (58)
「自然と人間の共生」をテーマにした「国際花と緑の博覧会」は平成2年4月1目、大...
[大阪新聞]隆替の年月 リンゴ事件2 (57)
被害総額40万円。 「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかっ...
[大阪新聞]隆替の年月 リンゴ事件1 (56)
秋の収穫を迎えるころになると毎年、青森県弘前市から大阪新聞社にリンゴが届けられ...
[大阪新聞]隆替の年月 歴代の奮闘2 (55)
「値上げが実現するとほっとする。財政面が好転する。だが、やがてまた値上げを必要...
[大阪新聞]隆替の年月 歴代の奮闘1 (54)
人々の活字離れ現象は、しだいに日本の新聞、出版界をおびやかしつつある。平成9年...
[大阪新聞]隆替の年月 日曜版・土曜版2 (53)
産経新聞は日曜夕刊の使命は終了した、と判断して、40年4月から廃止していた。 ...
[大阪新聞]隆替の年月 日曜版・土曜版1 (52)
日曜版の低迷は、現実の数字になって現れてきた。 平日にくらべて売れ行きが予想以...
[大阪新聞]隆替の年月 印刷インキの匂い2 (51)
『愛の渇き』は、昭和25年夏の書き下ろしである。取材はそれ以前ということになる...
[大阪新聞]隆替の年月 印刷インキの匂い1 (50)
とくに梅田の、地下鉄御堂筋線の改札口と、阪神百貨店の地下売り場との間の広場は、...
[大阪新聞]隆替の年月 工夫の数々2 (49)
きょうの見出しではどうも、という意見が、早版を受け取った販売店から出てくること...
[大阪新聞]隆替の年月 工夫の数々1 (48)
「はじめて大阪新聞に来たとき、原稿を出す側と、受け取って見出しをつけレイアウト...
[大阪新聞]隆替の年月 頑張った人々 (47)
大阪新聞の黄金時代は、いかにも大阪らしい男たちが、ゆうゆうと面白い紙面を編み上...
[大阪新聞]隆替の年月 編集は出張つづき2 (46)
土地カンがないばかりに、トクダネをつかんだ例もある。 ある記者は、東京・牛込署...
[大阪新聞]隆替の年月 編集は出張つづき1 (45)
この時期、名は大阪新聞だが、編集の範囲は全国にまたがっていた。 あるOBは、...
[大阪新聞]隆替の年月 売れ行きと社会情勢2 (44)
そこのところが、「三井さんは違うてました。というより三井さんだけちゃいますか、...
[大阪新聞]隆替の年月 売れ行きと社会情勢1 (43)
「昭和47年12月11日」といってもわからない。 現代史年表を開くと、第33回...
[大阪新聞]隆替の年月 最高の日々はいつ (42)
おそらく、大阪新聞の史上最高の日々は、終戦直後である、という話をずいぶんとお聞...
[大阪新聞]大転換 中興の祖6 (41)
釣りや占い、健康の頁も、三井さんの努力で常設化した。 三井さんは、魅力的な特集...
[大阪新聞]大転換 中興の祖5 (40)
そうした事情もあって朝刊紙はしだいに名簿の掲載を取りやめた。しかし大阪新聞は続...
[大阪新聞]大転換 中興の祖4 (39)
教育面というのも、三井さんの発想で生まれた。 これは「家族とのつきあい方」の分...
[大阪新聞]大転換 中興の祖3 (38)
ある日、働きものらしい中年の男性が「いつもの、あれ」と言いながら何か買っていっ...
[大阪新聞]大転換 中興の祖2 (37)
三井さんは、いつも動きまわっていた。じっと座っているのを見たことがない、という...
[大阪新聞]大転換 中興の祖1 (36)
「三井さんのおかげで、今日まで食べさせていただいてます」 いまでも、大阪新聞の...
[大阪新聞]大転換 苦難を乗り越えて2 (35)
苦闘の末に力尽きた、という形で、前田は去った。しかしながら、前田がつくったワク...
[大阪新聞]大転換 苦難を乗り越えて1 (34)
この調整と独立の時期をはさんで、創業者・前田久吉は産経グループから身を引いてい...
[大阪新聞]大転換 身を切られるような (33)
「紙面調整」、あるいは「紙面合同」という時代である。34年4月ごろから始まって...
[大阪新聞]大転換 夢のような"独立" (32)
「あのころのこと、いまでも夢をみますよ」 産経新開が大阪で夕刊を発刊したあとの...
[大阪新聞]蜜月時代 (31)
産業経済新開の夕刊を出すにあたって、大阪新開との関連をどうするか、よほど熟慮さ...
[大阪新聞]大阪新聞と産経新聞(2) (30)
前田は、社長無報酬、役員幹部の俸給半額引き下げ、などの節約を励行して頑張った。...
[大阪新聞]大阪新聞と産経新聞(1) (29)
大阪新聞の増資はつねに、グループ内のトップを切って行われた。 ある時期から産業...
[大阪新聞]地震現場の司馬遼太郎さん (28)
永田氏は23年、福井大地震のとき、大阪本社から現地へ走った。家が倒れ、石垣が崩...
[大阪新聞]新人から社長まで (27)
大阪新聞に入社し、大阪時事新報の記者も、産経新聞の記者も経験した人がいる。 の...
[大阪新聞]博覧会と、楽しい催し3 (26)
そのころ、すでに産経グループの航空部は他社にさきがけて設置されていた。新聞社と...
[大阪新聞]博覧会と、楽しい催し2 (25)
ところが、昭和28年大会で、なんと、日本代表の伊東絹子さんが3位に入賞してしま...
[大阪新聞]博覧会と、楽しい催し1 (24)
昭和27年、「講和記念・婦人とこども大博覧会」(3月20日~5月31日・天王寺...
[大阪新聞]『ヤネウラ3ちゃん』と『白虎』 (23)
「わたしも行列したことがあります」という話を南部正太郎から聞いたことがある。 ...
[大阪新聞]大阪新聞ひと筋 (22)
当時を知るOBは、駅の新聞売り場をみていると気分がよかった、という。 分厚く...
[大阪新聞]ニュースも娯楽も大阪新聞 (21)
なぜ、あのように売れたのか。夕刊紙にとって夢のような時代がきた。 ドウシテ、戦...
[大阪新聞]発展 紙の争奪戦 (20)
戦争が終わると、前田は仙花紙の獲得に乗り出した。 新聞用紙は、各社に割り当て数...
[大阪新聞]発展 自由へ羽ばたく (19)
戦後世界は才能さえあれば、飛躍のチャンスを約束してくれた。 新聞経営者にも例外...
[大阪新聞]新生 自由の中で (18)
新しい1面コラムは「公論」と名付けられた。10月1日は「言論の自由」をテーマに...
[大阪新聞]新生 敗戦の試練(2) (17)
いま、両紙を並べると、信じられない思いがする。わずか3カ月で、この落差である。...
[大阪新聞]新生 敗戦の試練(1) (16)
20年8月15日、戦争が終わった。 大阪新聞の社内もとまどったはずである。 軍...
[大阪新聞]新生 覚悟が必要である(2) (15)
夏になった。 「夏休み返上」を大阪新聞では決めた。戦場にある勇士の労苦をしのん...
[大阪新聞]新生 覚悟が必要である(1) (14)
大阪新聞・庶務部の安野(現姓・亦木)信子さんは、入社2年目でまだ16歳である。...
[大阪新聞]新生 空襲の試練 (13)
昭和20年は、試練と新生の年になった。 前年の7月、サイパン島もグアム島もテニ...
[大阪新聞]成長 「大阪新聞」の発足 (12)
昭和17年、大阪新聞の第1号が発刊された。以下は、昭和17年12月現在の、大阪...
[大阪新聞]成長 気品と庶民性が融合して (11)
合併につぐ合併は、社内に亀裂を生まなかっただろうか。 とりわけ東京の誇り高い老...
[大阪新聞]成長 開戦の日 (10)
がんじがらめにされた新聞は、戦争に対する自由な発言はできなかった。 日露戦争の...
[大阪新聞]成長 新聞の統合 (9)
夕刊大阪新聞社は、昭和15年に関西中央新聞社を吸収している。 さらに16年まで...
[大阪新聞]成長 さまざまな変遷 (8)
前田久吉も40代に入ると、多忙をきわめる新聞人になった。 本拠の夕刊大阪新聞の...
[大阪新聞]順風満帆の勢い 「2」 (7)
昭和の御代になると、部数が飛躍的に伸び、10万部を超えた。 社屋を北区堂島浜通...
[大阪新聞]順風満帆の勢い 「1」 (6)
前田は強い追い風を受けていた、といえる。 あれは劉備玄徳さ、と評する人もいた。...
[大阪新聞]アメリカの州新聞のような 「2」 (5)
「無色透明の大阪第一主義」のあたり、夕刊大阪新聞の特徴をうまく言いあてている。...
[大阪新聞]アメリカの州新聞のような 「1」 (4)
世間もまた、新しい「夕刊大阪新聞」に目をむけてくれた。 当時の新聞業界は、大阪...
[大阪新聞]新聞を発行する 「その2」 (3)
ここで大阪の新聞界をみると、販売業に携わる人が、新聞を発行するのは異例ではなか...
[大阪新聞]新聞を発行する 「その1」 (2)
テレビはもちろん、ラジオもまだ放送を始めていなかった。 夕刊だけが、1日の出来...
[大阪新聞]大阪新聞誕生 <<新聞販売で成功>> (1)
大阪新聞は、「新聞少年の夢」から誕生した新聞、といえる。 その夢は、まず「南大...



