2008年11月 6日
関西スーパーマーケット社長 井上 保さん(61) (3)失敗
石油危機に“救われる”
社長になった今でも売り場にはよく足を運びます。魚は買いやすい大きさにカットされているか、果物は手に取りやすい陳列になっているか…。
商品部で仕入れを担当した経験が長く、何をどれだけ仕入れ、どう売るかを常に考えてきました。物を売る仕事がやはり好きなんですね。
私が現場を走り回っていた昭和40~60年代は、各社が競うように店舗数を増やすなどスーパーが伸び盛りの時代でした。日本は本格的な消費社会を迎え、商品はどんどん売れました。「人々の生活を豊かにしたい」という使命感を抱き、忙しくも楽しく働いていました。
当然、失敗もありましたよ。今でも覚えているのが48年、第1次石油ショックが起きた年にやってしまった失敗です。
春先に開催された問屋の展示会で、何を思ったのか、あるメーカーの天ぷら粉を1500ケース(1ケース20個入り)購入したのです。まだ10店舗に届かないころで、200ケース程度しか売れる見込みはありません。頑張ったものの結局300ケース分しか売れず、倉庫は天井まで在庫が山積みになりました。
「どうしよう。責任を取って辞めるべきか…」。落ち込んでいたとき、“幸運”が訪れました。秋に起こった石油ショックです。「物が不足する」という噂(うわさ)が広がり、天ぷら粉も飛ぶように売れ始めて、あっという間に在庫がなくなりました。
ホッと胸をなで下ろしたのですが、同時にトイレットペーパーなどさまざまな商品の確保に奔走することになりました。
創業者の北野祐次社長(現会長)は常々、「取引先を大切に」「返品はするな」と述べ、それを実践していました。そのおかげもあって、取引先の問屋などからは優先的に商品を回してもらえました。
北野社長はまた、「普段の食生活のための品ぞろえを」「主婦の財布で判断できる価格に」とも訴え、消費者目線での店作りに力を入れていました。ですから我々は石油ショックの際にも値上げは行っていません。
平成7年1月17日に発生した阪神大震災の時も、被害を受けた店舗を何とか1週間程度で順次再開しました。「消費者が商品を求めている」と感じたため、頑張ることができたのだと思います。
(聞き手 竹岡伸晃)
(2008年11月 6日 13:37)
Category:いま、語る関西人国記
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