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モリタホールディングス会長 新村鋭男さん(72)(3)山一証券時代

倒産で新会社設立に奔走

 昭和34年に山一証券に入社、調査部に配属されました。企業にうかがい、経理担当の役員に最近の状況などを聞いてリポートにまとめる仕事です。20歳そこそこの若者が、いろんな人に会えることが楽しかった。

 次に法人営業部門に移りました。ここでも多くの経営者に会い、話を聞きました。ときには説教もされましたが、トップと直接お話できる機会は貴重でした。

 山一時代は、2つの印象的な出来事があります。ひとつは副社長時代、山一を破綻(はたん)させる原因となった営業特金の調査をしたことです。営業特金とは、証券マンが顧客から預かった資金を全面的に運用する商品です。当時は契約獲得競争の結果、高い利回りを約束する特典をつけていました。かなりの損失が出ていると推測されましたが、会社は正確な数字を把握していませんでした。

 調査を進めてみると、2000億円の含み損と分かりました。そこで当時の社長、会長に「取引先にも一定の損失をかぶってもらうほか、新本社ビル建設をあきらめるなどして処理しましょう」と提言しました。

 ただ、それには事実関係を明らかにし、トップも交代しなければいけない。しかし、当時のトップは辞める気はなかった。虎の尾を踏んだのです。私も50歳を過ぎていたのに、その点が未熟でした。会社からすれば、恥部を知る人間は目障りです。副社長は1年で終わり、山一情報システム社長に転出しました。

 6年後、山一は自主廃業します。その余波は子会社の山一情報システムにも及びました。翌日からノート1冊、鉛筆1本に至るまで、現金でなければ売ってもらえない。倒産のすさまじさを思い知らされました。

 私の仕事は、社員の雇用維持だと決意しました。破綻した翌日、全社員を集め「私と一緒に働きたい人で新会社をつくりましょう」と呼びかけました。600人のうち、500人が応募してくれました。

 そのあと、新会社設立のためのスポンサー企業を求め、奔走しました。新会社には条件を付けました。なにより全員雇用、2つ目に、できることなら証券システムの仕事、3つ目は、おこがましいのですが今までと同じ給与です。難航しましたが、システム会社大手のCSKが引き受けてくれ、新会社、日本フィッツを立ち上げることができました。

(聞き手 内山智彦)

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