2009年1月28日
昭和貿易社長 末野 明義さん(61) (3)社長業
赤字の試練乗り越え
社長になったのは昭和59年、37歳のとき。会長となった父、明は「社長を任せたからには、二頭政治にはしたくない。おれは空気のような存在になる」とバックアップしてくれました。
当時は従業員が140~150人ほどで、彼らやその家族の生活が私の双肩にかかっていることに責任の重さを感じました。
力を入れて取り組んだのは食に関連した事業。世界中に何十億という人口がいて、「衣食住」の中でも食は欠かせない存在。そこでこの会社が生きる道を模索しようと考えたのです。失敗しましたが、若いころに駐在したオランダでレストランを開いたりしました。
社長になって二十数年ですが、忘れられないのは平成14年度に出した大赤字の決算です。
この時期は、当社が販売にかかわった商品の表示に問題があって数億円の損失を出し、農産物では新型肺炎(SARS)の影響で輸入に支障をきたし、相前後して複数のマイナス要因がいっぺんに襲いかかり、たちまち大きな赤字となってしまったのです。こうなって初めて社長業のしんどさを実感しました。
業績が急速に悪化したので、人員削減に手を付けざるを得ませんでした。従業員数を100人前後に抑える必要があり、正社員と派遣社員を合わせて50人程度減らすことにしたのです。
これは社長としては恥ですよ。社員やその家族を養えないということですから。身を切る思いでした。それでも残った社員たちがこの会社を見捨てず、厳しい中でまじめに仕事に取り組んでくれたことには正直感激しました。
役員報酬や社員給与のカットも行い、私自身も兵庫県芦屋市にあった家などを売却しました。今の私は資産らしいものは何も持っていません。それでも、この会社をちゃんと残せたのだから本当によかった。
会社の業績は何とか立ち直り、翌15年度以降は現在に至るまで黒字を確保しています。当面の事業の見通しが立つようになったのも、会社に残ってがんばってくれた社員のおかげ。お礼をしたいと思って昨年秋、決算賞与を出しました。
決して盤石なわけではありませんから、それだけのお金があるのなら内部留保に回すべきといわれるでしょう。でも、具体的なかたちで社員のみんなに「感謝の気持ち」を示したかったのです。
(聞き手 森田晶宏)
(2009年1月28日 15:11)
Category:いま、語る関西人国記
この記事と同じカテゴリの最新記事
2010.03.10
2010.03.09
2010.03.08
2010.03.03
2010.03.02





