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ヒューマンスポーツエンタテインメント社長 上原 光徳さん(47)(1)バスケットとの出合い

練習厳しく1学期でリタイア

 私の会社は、日本プロバスケットボール「bjリーグ」に加盟する「大阪エヴェッサ」を運営しています。チームは平成17年11月のリーグ1年目から3連覇しており、現在、4連覇を目指してリーグ戦を戦っています。私とバスケットボールとの出合いは、中学時代にさかのぼります。

 私は昭和36年、みかんとかまぼこで有名な愛媛県八幡浜市に生まれました。実家では、しょうゆを中心に酒や練炭、薪などを販売していました。子どものころには薪の配達をよく手伝わされましたね。

 まわりからは“よい子”だといわれていました。小学5、6年生のときには学級委員も務めました。勉強ができるというよりは頼まれると断れない性格で、何でも引き受けてしまうことが“よい子”という評価になったんだと思います。

 野球が大好きでした。近所の神社の境内でよく遊んでいました。当時、地区対抗のソフトボール大会がありました。その大会には5、6年生が出るのですが、私は4年生でレギュラー出場していました。

 中学生になり、野球部入部を希望したのですが、小柄だったので身長を伸ばしたいとの理由でバスケットボール部を選びました。これが私とバスケットボールとの初めての出合いです。

 ところが、その練習はとても厳しく中学1年生の1学期にリタイアしてしまいました。

 このころ、ビートルズの音楽に没頭していました。歌詞は英語で理解できませんが、そのメロディーは衝撃的でした。勉強もしないで、ビートルズばかり聴いていました。そのころはわからなかったのですが、大人になるにつれ、彼らの歌に込められたメッセージが理解できるようになりました。もちろん、今でも時間があれば聴いています。

 大学は関西大学の経済学部に進学しました。ところが、大学の授業にはほとんど出ず、大学近くのボウリング場でアルバイトの日々。おかげでボウリングの腕前はプロ級になり、関西ランキング10位になりました。このボウリング場でのアルバイト経験が、今の仕事につながっていくのです。
  
(聞き手 香西広豊)

                   ◇

【プロフィル】上原 光徳
 
うえはら・みつのり 昭和36年、愛媛県生まれ。関西大学経済学部卒。59年に双葉商事入社。平成5年、ヒューマンアカデミーに入社。17年4月、プロバスケットボールチーム「大阪エヴェッサ」を運営するヒューマンスポーツエンタテインメント社長に就任。
 

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