2009年4月 9日
【立志庵の人々】矢倉雅教さんの巻
大阪産業創造館の起業支援スペース「立志庵」で今年2月に同スペースに入居する起業家の方々にうかがったお話を紹介するシリーズです。
3回目のきょうは、
インターネットサービスのコーディネイト全般を展開している「インターネットシーエスオー」代表の矢倉雅教(やぐら・まさのり)さん=写真=です。
矢倉さんは現在40歳。
「小学6年まで金沢に住んでいました。
父がコンピューター関係の事業を立ち上げたんですけど、
“撃沈”しまして…。
父の実家がある大阪へ家族で出てきました」
いきなり波瀾万丈を予感させるエピソードが飛び出してきました。
矢倉さんによると…、
「極貧生活です。
妹もいましたが、
一家総出で働くような状態でした。
中学高校とアルバイトなどをしながら、
生活していたんです。
でも高校を卒業してすぐ社会に出るのはどうなんだろう?
何をしたいのかが分かってからのほうがいいと思ったんです。
まわりは専門学校に進もうという友達が多かったんですけど、
お金がかかるでしょ。
だから、
(昼間働いて夜勉強できる)近畿大の二部を受けたら法学部の経営法学科に合格したんです。
昼間はそば屋で働くことになったんですけど、
僕、実はそばアレルギーなんですよね。
でも、やめるきっかけがなく、
言い出せなくて…。
『あぁ、マクド(マクドナルド)にいきたいなぁ』
なんて思いながら勤めてました。
そのそば屋は別の場所にも店舗を持ってたんですけど、
4年生のときのある日、
急にそっちに『手伝いに行って』っていわれたんです。
手伝いに回ったらその店が大学から遠くて、
当日は試験だったのに、
大学に遅刻して留年することになってしまいました」
哀愁さえ漂うこんな話をユーモアたっぷりに話し笑いに変えてくれる矢倉さん。
卒業後は―、
「バブルの頂点から1年ずれたような時期でしたけど、
就職活動の時期は東大阪や城東区(大阪市)の会社から案内パンフはいっぱい送られてきました。
その中でも小さい会社を選びました。
人生を成功させたかったので、
小さいところのほうが成長が速いと思ったんです。
オフコン(オフィスコンピューター)のエンジニアとして、
販売管理システムの設計・開発なんかをしていたんです」
そこで7年ほど勤めて中堅社員になっていたころ、
世界的なIT(情報技術)産業の集積地となっている米・シリコンバレーに会社から社員を派遣する話が持ち上がったそうです。
成長するインターネットに関心を持っていた矢倉さんは立候補したのですが…。
あえなく“落選”。
「でもインターネットのことを知れば知るほど興味が湧いて」
インターネット業界へ転職。
ホームページの制作や企画・運用などの仕事に携わりスキルも構築しました。
しかし転職先は倒産。
起業を視野に入れながら、
派遣社員として働き、
一昨年秋、いわゆる“派遣切り”にあったことをきっかけに独立しました。
「起業に関しては自分の中でも揺れていたんですけど、
40歳近くになったタイミングで会社がなくなり、
今が最後のチャンスかなと思いました」
まずは印刷会社向けのビジネス支援などから始め、
現在は名刺印刷から企業のIT戦略のサポートまで、
自分が蓄積した知識をITに詳しくない人々に有効に活用してもらい、
感謝されるようなビジネスをめざしています。
つまり、
IT技術と一般の人々との橋渡し役をしているわけです。
世界的に経済状況は厳しいですが、
矢倉さんは―、
「貧乏には慣れてますんで大丈夫。
それよりも組織に入っているほうが不安で仕方ないです」
これまでの経験と知識の積み重ねに自信を持っていることが伝わってきました。
(2009年4月 9日 16:57)
タグ:インターネットシーエスオー, 大阪産業創造館, 矢倉雅教
Category:[実験ブログ]“起業”を学ぶ
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