2009年5月 7日
しばらく待ってろ 小阪克彦 73 和歌山市
もう電話がかかってくるころだろう。新聞の棋譜を並べながら、いつになく遅い相手からのコールを心待ちにしていた。
先週はさえていた。2番を続けて負かして3局目、当たりを見落とした相手の石を「待った」という間を与えず上げてしまったのだ。
相手は憤然として「もうあんたとは打たない」と言い捨て、帰ってしまったのである。
こちらの方もその前は3番ストレートで負かされ、相手の含み笑いに腹を立て、碁盤に石をぶちまけて席をけったのだった。
しかし、1週間もたてば寂しさが募ってきて「今日はいいか」と怒ったほうが電話をかける。こんな関係が10年近く続いたのである。
電話が鳴るたび、来たか、来たかと思いながら取ってみると相手ではなくがっかりしていた。そして電話が来た。
突然の訃報(ふほう)であった。
お互い死んだときは、と話し合い、燃えない碁石を棺の中に入れるわけにはいかんと思案の末、「詰碁の本でも入れてやる」と相手が言ったのに、あの世に行ってまで苦しめる魂胆かとやり返したことが一瞬、脳裏をよぎった。
しばらくして、棋譜並べをしながら基盤の上に倒れ込んだことを知らされ、次は負けない秘策を練っていたのかと胸が熱くなった。
「しばらく待っていてくれ」
涙でかすむ碁盤に向かってつぶやいた。
(2009年5月 7日 15:22)
Category:夕焼けエッセー
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