産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)

元禄産業社長 白石博志さん(59)(3)料亭で修業

共通の真理は「客に喜びを」

 父親(義明さん)が始めた回転ずしは子供のころから、生活の一部になっていましたが、それを生涯の仕事とすることに抵抗があったのも事実です。日曜日も祝日もなく、朝から晩まで働く生活が待っており、「いややなー」というのが正直な気持ちでした。

 悩んでいたときに父親からかけられたのが、「苦労は、上の苦労も下の苦労も同じ苦労や」という言葉でした。「中途半端に苦労から逃げないで、死ぬまで本気で苦労しろ」との意味です。この言葉に背中を押され、回転ずしの仕事に身を投じることを決めました。

 大学卒業後、大阪・北浜の料亭、花外楼で料理の修業をしました。1年間洗い場を担当した後、野菜の担当や飯炊き、漬物、料理を彩る「あしらい」作りなどを経験しました。今でも飯を炊くのは上手ですよ。

 修業は住み込みで、午前3時に起きて調理場に出て、午前0時を過ぎて寝ることもしばしばでした。親方や先輩に殴られることもありましたが、「逃げ出したい」と思ったことはありません。「先輩の技を盗みたい」「少しでも野菜や魚に触りたい」と必死でした。

 修業を通じ、「客に喜んでもらおうと考え続けることが料理の魂だ」という「真理」が分かってきました。料理人が味付け、形、見た目にこだわるのは、おいしく食べてもらうためです。この「真理」は、高級料亭にも回転ずしにも共通のものです。

 気軽に食べてもらえる1皿130円のすしだからこそ「気持ちを込めて客に出す必要がある」と常に肝に銘じ、従業員にも伝えています。

 厳しくも充実した修業は、約1年半で終わりました。父親の店が忙しくなり過ぎ、呼び戻されたのです。昭和50年9月に回転ずし「元禄寿司」を経営する元禄産業に入社。戻ったその日に大阪・道頓堀の店に派遣されました。

 道頓堀店は繁盛していましたが、問題も抱えていました。店長が掛け持ちでアルバイトもしており、仕事を若い者に任せてサボっていました。“お目付け役”として店に入った私は、特に何も言わず、まじめに仕事に取り組むことを徹底しました。

 約1年後、結局、その店長は店を辞めました。そのため、私が新店長に就任。「食い倒れの街」にある社の“看板店”を運営することになったのです。

(聞き手 竹岡伸晃)

前の記事:元禄産業社長 白石博志さん(59)(2)大学時代に米国へ »

後の記事:元禄産業社長 白石博志さん(59)(4)のれんを守る »

ホーム

第二京阪道路バナー

変わるロータリークラブ「第2660地区」の元気人のバナー

フォトニュース

最多850チーム力走 大阪城リレーマラソン 胸を張って入場行進する大阪桐蔭の選手たち 「マプサウルス」の親子とみられる大小2頭の前進骨格標本
強風で倒壊した阪神高速の橋げた建設現場の足場 食農キャンペーン「食べることは生きること」の表彰式 檜原神社境内にある大きなしめ縄越しに見た二上山。春分のころには雄岳と雌岳の間に沈む夕日が見られる=11日、奈良県桜井市
興味深げな表情で作品に見入る入館者=奈良市の奈良県立美術館 開城時間を前に約500人の観光客が列を作った姫路城=兵庫県姫路市(高瀬真由子撮影) 淡路「花みどりフェア」開幕