2009年5月13日
元禄産業社長 白石博志さん(59)(3)料亭で修業
共通の真理は「客に喜びを」
父親(義明さん)が始めた回転ずしは子供のころから、生活の一部になっていましたが、それを生涯の仕事とすることに抵抗があったのも事実です。日曜日も祝日もなく、朝から晩まで働く生活が待っており、「いややなー」というのが正直な気持ちでした。
悩んでいたときに父親からかけられたのが、「苦労は、上の苦労も下の苦労も同じ苦労や」という言葉でした。「中途半端に苦労から逃げないで、死ぬまで本気で苦労しろ」との意味です。この言葉に背中を押され、回転ずしの仕事に身を投じることを決めました。
大学卒業後、大阪・北浜の料亭、花外楼で料理の修業をしました。1年間洗い場を担当した後、野菜の担当や飯炊き、漬物、料理を彩る「あしらい」作りなどを経験しました。今でも飯を炊くのは上手ですよ。
修業は住み込みで、午前3時に起きて調理場に出て、午前0時を過ぎて寝ることもしばしばでした。親方や先輩に殴られることもありましたが、「逃げ出したい」と思ったことはありません。「先輩の技を盗みたい」「少しでも野菜や魚に触りたい」と必死でした。
修業を通じ、「客に喜んでもらおうと考え続けることが料理の魂だ」という「真理」が分かってきました。料理人が味付け、形、見た目にこだわるのは、おいしく食べてもらうためです。この「真理」は、高級料亭にも回転ずしにも共通のものです。
気軽に食べてもらえる1皿130円のすしだからこそ「気持ちを込めて客に出す必要がある」と常に肝に銘じ、従業員にも伝えています。
厳しくも充実した修業は、約1年半で終わりました。父親の店が忙しくなり過ぎ、呼び戻されたのです。昭和50年9月に回転ずし「元禄寿司」を経営する元禄産業に入社。戻ったその日に大阪・道頓堀の店に派遣されました。
道頓堀店は繁盛していましたが、問題も抱えていました。店長が掛け持ちでアルバイトもしており、仕事を若い者に任せてサボっていました。“お目付け役”として店に入った私は、特に何も言わず、まじめに仕事に取り組むことを徹底しました。
約1年後、結局、その店長は店を辞めました。そのため、私が新店長に就任。「食い倒れの街」にある社の“看板店”を運営することになったのです。
(聞き手 竹岡伸晃)
(2009年5月13日 15:17)
Category:いま、語る関西人国記
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