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【新・都名所図絵 京都検定1級合格記者版】2

秀吉さんの都市改造

 《豊臣秀吉が行った京都の都市改造政策を具体的に5つ書きなさい》

 平成17年の第2回京都検定試験のときに初めて実施された1級試験で、こんなとんでもない問題が出た。大学入試時代を含め、こんな設問にはお目にかかったことがなく、少々度肝を抜かれた。

 答えは、聚楽第の建設▽京域を取り囲む御土居の建設▽応仁の乱以来空白地帯となった二条通周辺の復興▽平安京の条坊制度に基づく正四角から短冊形への町割変更(天正の地割)▽社寺の経済的支援と社寺の一カ所集中(寺町、寺之内)窶狽ネどが挙げられる。

 傾向と対策がそれなりにできあがった今ならば答えられるが、暗中模索だった当時の受験者の心境は窶狽ニ、ついつい考えてしまう。ちなみに当時、803人が1級を受けて合格者はわずか36人だった。

 ところで、ここで気づいたのが、今の京都の土台を秀吉が形作っているということだ。

 応仁の乱など度重なる戦で破壊された京都。内野(うちの)と呼ばれた旧内裏(だいり)周辺は田園地帯と化し、町が上京と下京に分離。両町をつないでいたのが室町通だけという。このため秀吉は復興施策を次々と実施し、都らしい景観を整えていった。

 特に秀吉の事業を今でも実感できるのは天正の地割だろう。平安京以来、120メートル四方の町区画の東西端を走る南北道との間にもう1、2本、南北道を新設して細長い短冊状の町割に変更した。現在の御幸町、富小路、堺町、黒門などの各通りがそれにあたる。

 これまでの正方形の町区画の外周にしか道路がない場合、道沿いに家を建てると「ロ」の字のように家が並び、区画の中央に大きな穴が開く。そこで秀吉はど真ん中に道路を通して中心の穴を埋めたのだ。

 秀吉以後になると、京都は天明の大火や蛤御門の変などで町が焼失してはまた復興するという繰り返し。その度に町の景観は変わってきたが、秀吉時代の区画という大枠が大きく崩れることはなかった。

 平安京以来の変わらない落ち着いたたたずまいをみせる京都窶狽ニ思われがちだが、実はどこに行っても秀吉さんの顔が見え隠れしている。 (園田和洋)

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