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(21)大阪梅田東ロータリークラブ会長 梶本憲史さん(71)

プロ野球引退後、ホテル役員にまで上り詰めた梶本さん。異例の経歴で講演依頼も多い=大阪市北区 野球で学んだプロ意識

 プロ野球「阪急ブレーブス」の投手として、昭和31年から38年までマウンドに立った。兄は通算254勝を記録した大投手、梶本隆夫さん(故人)。打球を左足に受けた弟を兄がリリーフして勝利-という球史に残る“兄弟リレー”の記録も残す。

 しかし肩の故障により25歳で引退。スコアラーやスカウトへの道もあったが、将来を見据えて、翌39年にオープンを予定していた新阪急ホテルの営業マンに転身した。畑違いの業界だったが、阪急グループの縁を信じた。

 野球選手の引退後の再就職はある意味、自己責任。「現役で活躍している兄の顔に泥をぬるわけにはいかない」「野球選手あがりとはいわれたくない」。人生の第2章に向け、引退から入社までの2カ月間、名古屋のホテルで皿洗いから銀食器磨き、接客などの研修を自費で積んだ。

 入社後は「新阪急ホテルを大阪一のホテルにしてみせる」と、大阪に本社を置く企業、自治体、新聞社、放送局、芸能事務所など顧客になってくれそうな会社・団体に、断られても断られても足しげく営業に歩いた。そして、自身が予約を受けた顧客のパーティーには必ずフロアに立ち、感謝の気持ちを目配りのきいたサービスで伝えた。

 阪急ブレーブスがパ・リーグ初優勝を遂げた昭和42年には、その祝勝パーティーを用意。「梶本弟」が、ホテルマン梶本憲史としてかつてのチームメートに最高のサービスを贈った。

 「相手に満足してもらえるまで働く」をモットーに全力投球を続け、平成18年、「顧問」を最後にホテルマンの第一線を退いた。しかし、今も名指しで宴会を依頼してくる顧客が絶えない。プロ野球選手から1部上場ホテルの常務取締役にまで上り詰めた異例の経歴に講演の依頼も多い。また、所属するロータリークラブでは今年度の会長に就任、対外的な仕事が増えた。

 「大阪を活性化するための企画を、ロータリークラブでできればいいなと思っています。1つのクラブだけで動くのではなく、地区全体でお年寄りと子供が交流できるお祭りなんかね。球場を借りてね」と目を輝かせた。

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