2010年1月27日
(24)大阪北ロータリークラブ諮問委員 古市實さん(87)
生き残った命 奉仕に捧げ
戦闘機、隼(はやぶさ)の模型を前に「生き残ったことに感謝している」と話す古市さん=大阪市福島区
「戦争は、絶対にしてはいけない」
特攻隊の教育を受けた人間として、その思いをずっと心に抱いて生きてきた。
あの日…。昭和18年10月21日は土砂降りの雨だった。東京・神宮外苑で行われた学徒動員の壮行会。法政大学の学徒としてその中にいた。勇ましく死にたいと、陸軍航空隊に志願した。
宇都宮の陸軍飛行学校で初等教育、台湾で戦闘機訓練、熊本で実戦教育を受けた。20年になり、仲間は特攻として鹿児島・知覧から次々と飛び立った。
「わたしも戦闘員になる訓練をしていましたが、教官要員となり旧満州の奉天(中国東北部の瀋陽市)に特攻機を取りにいったりしていました」
その帰路、上空でエンジンが停止。現在の北朝鮮元山にあった海軍の飛行場に不時着し、九死に一生を得る。戦況はさらに悪化、「俺の番は、8月の終わりか」と心を決めた。23歳だった。
そして8月15日、終戦。
焼け跡の大阪に12月に復員した。
父と伯父(おじ)が昭和2年に創業した自動織機部品のメッキ加工会社は戦時中、兵器部品をメッキ加工する軍需工場になり、爆撃に遭って焼けていた。父とともに会社を再建。事業家としての一歩を踏み出した。
メッキ業のかたわら染色用の顔料の攪拌(かくはん)機の開発に取り組んだことが会社の今日に結びつく。「混ぜるというのは簡単なのですが『よく混ぜる』というのが、結構難しい」
高速攪拌機のトップメーカーとして現在、世界16カ国で国際特許を持つ。平成14年には、発明協会の全国発明表彰で発明実施功績賞を受賞した。
「効率のいいものをどう生み出していくか。そのアイデアが当社の力です」
一方、財界のまとめ役としても若い日から信望が厚く、昭和37年には日本青年会議所会頭に就任。関西経済同友会の幹事は、38年から33年間務めた。
このほか、父が創設に尽力した福祉作業センター「すずらん園」の顧問や、ロータリーでは「大阪北ロータリークラブ唱歌隊」の一員として高齢者施設への慰問を続ける。
「生き残ったのは本当にありがたいこと。感謝の気持ちをロータリーの奉仕の心に重ねています」
※2010年1月20日付産経新聞朝刊(大阪版)掲載
(2010年1月27日 06:00)
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戦闘機、隼(はやぶさ)の模型を前に「生き残ったことに感謝している」と話す古市さん=大阪市福島区 
