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■30■大阪堂島ロータリークラブ初代会長 藤本眞一郎さん(90)

 ゴルフ3千ラウンドを達成した藤本さん。90歳のいまもハンディは26だ=大阪市北区 ゴルフで交流 3000ラウンド

 平成18年6月1日、87歳の誕生日に、ゴルフ3千ラウンドを達成した。90歳のいまもハンディは26。兵庫県三田市の有馬冨士カンツリークラブをホームコースに週1回はグリーンに立つ。

 大阪堂島ロータリークラブのゴルフ仲間は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をもじり、「東ニヨキこーすガアレバ スグサマ行ッテぷれーヲシ 西ニ疲レタ友アレバ 行ッテ元気ヲダシテぷれーヲシヨウトイイ…」と、その愛好ぶりを評する。

 ゴルフを始めたのは、住友電工東京支社で貿易課長を務めていた昭和30年代後半。きっかけは、つきあいゴルフ。止まっているボールを打つことの何が面白いのかと、高をくくっていたが、思うように飛んでくれないボールと格闘するうちにその虜(とりこ)になった。

 昭和51年、住友ゴム工業に出向、ダンロップスポーツエンタープライズの副社長に就任し、トーナメントの主催者として、クラブを握る機会が一気に増えた。中村通、山本善隆、入江勉、島田幸作、樋口久子…そうそうたるプロゴルファーとラウンドを共にした。 当時の部下に、ゴルフ解説者の戸張捷(しょう)、大西久光の両氏がいた。「ゴルフの腕を買われての出向、というのではないですよ」という言葉に、軽妙な人柄がのぞく。

 そんな藤本さんだが、昭和20年8月の終戦前後には何度も死のふちに立った。

 大阪外国語学校で英語を学び、陸軍に召集された。関東軍に派遣され、中国・ハルビンでロシア語を習得、暗号解読などの任務についた。

 ソ連軍の参戦で、捕虜として旧満州の収容所に捕らわれた。終戦時の階級は伍長だったが、ソ連側に経歴が知られれば、スパイとして処刑されると感じていた。

 シベリアへ連行される前日、仲間4人と捕虜収容所を脱走。日本へ帰り着くまでの逃避行もまた、死と背中合わせの日々だった。「何ごとも運命とあきらめたら、運は逃げていく」。過酷な体験から得た信条だ。

 「ロータリーでは、他業種の会員との出会いで視野が広がった。ただ、国内外で、さまざまな社会奉仕事業をしているのに宣伝が下手。もう少し表出せんとね」と、語気を強めた。

【写真説明】ゴルフ3千ラウンドを達成した藤本さん。90歳のいまもハンディは26だ=大阪市北区

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