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【女性ががんになるとき】<乳がん>がんからの"贈り物" 桜井なおみさん

理事長を務めるNPOの仲間たちと参加したリレーフォーライフ

 「あれ、しこりがあるよ?気が付かなかった?」

 思いもがけないこの一言から、私のキャンサー・ジャーニーは始まりました。当時37歳。

 診察室で、「残念ですが、クラス5、悪性新生物です」という医師の言葉を聞いたときには、がんのことを悪性新生物と呼ぶとは知らず、医師に「エイリアンみたいな名前ですけど、悪性新生物って、なんですか?」と聞きなおし、「がんです」と二度も告知を受けてしまうはめに。

 30代でがんになるなんて想像もしておらず、「がんっ!! 5期!! が~~~ん!」と、旦那の膝に頭をうずめて耳をふさいでしまったことをよく覚えています。そのぐらいショックでした。相方も、そんな私をみるのは初めてだったので、相当びっくりしたようです。

 私は叔母(当時50歳)を乳がんで亡くしていたので、診断されたときは、「自分も叔母さんのように死ぬんだ」ということしか考えられませんでした。

 手術は7月30日。結婚記念日は忘れてしまうけど、がんの“記念日”だけは忘れられません。そんな日が、たくさんあります。

 がんを経験すると、治療面、精神面、社会・経済面での壁にぶつかりますが、私が一番悩んだのは、社会・経済的な壁でした。治療と仕事の両立には本当に悩み、葛藤をしました。

 私のがんは女性ホルモンに反応するがんだったので、術後も5年間、治療が続きました。毎月1~2回の定期通院で有給休暇はあっという間に無くなり、欠勤が増えました。外来が大きな会議と重なってしまったり…。治療の副作用からくるホットフラッシュ(のぼせ)や集中力の低下。

 働きたい一方で、前のような激務に戻したら再発するのではないかという不安感。他にも焦燥感や罪悪感。そして、現実問題として、肉体的に、元に戻れない自分がそこにいました。

 結局、復職から1年半で17年間勤めていた会社を退社しましたが、最終日に名刺を置き、自宅へ送る荷物を整理していたときには、がんに罹患したことが本当に悲しかったし、悔しかったです。
 

がんになって世界中に友達ができた!人との出会いは私にとってのキャンサー・ギフト

 こうした経験をもとに、今、私はがん罹患と就労・経済問題を解決するために、退路を断って患者支援の世界へとびこみました。

 私はがんの早期発見はできませんでしたが、生きることの意味、死ぬことの意味を“早期発見”することができました。そして今では、世界中にがんの友達ができました。これは私にとってのキャンサーギフトです。

 「有難い」、この言葉をかみしめつつ、そして、ちょっと先に旅立っていった仲間から託されたバトンを持って、私は今も、これからも、走り続けていきます。ときには、背中をおしてもらいながら。

【写真説明】
(上)理事長を務めるNPOの仲間たちと参加したリレーフォーライフ
(下)がんになって世界中に友達ができた!人との出会いは私にとってのキャンサー・ギフト

【プロフィル】桜井なおみ 東京都在住。43歳。家族は夫、犬、亀。平成16年7月6日右胸乳がんの告知。同月30日 手術。同年9月17年1月化学療法CEF6クール以後、ホルモン療法続行中。病名は粘液がん。趣味は水泳、ライブに行くこと。造園コンサル会社退社後、派遣社員をへて、団体職員。現在、NPO法人「HOPEプロジェクト」理事長、がん治療経験者を支援する「キャンサー・ソリューションズ」(東京都文京区)代表取締役社長。

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