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事業集約 最終形へ パナソニック ブランド統一

握手する三洋電機の佐野精一郎社長とパナソニックの大坪文雄社長、パナソニック電工の長栄周作社長(左から)=大阪市中央区(塚本健一撮影)  パナソニックが、懸案だったパナソニック電工と三洋電機の完全子会社化に踏み切る。「SANYO」ブランドは海外の一部地域や一部事業を除いて消滅し、「Panasonic」ブランドに統一する方向だ。グループ各社に拡散していた事業分野を「パナソニック」の旗のもとに結集させる中村邦夫前社長(現会長)の改革が始まって10年。「中村改革」が目指した最終形が完成する。

 「3社の独立性を意識していては、スピード経営には致命的。100%(子会社)で、相乗効果を一丸となって発揮できる」。29日に大阪市内で開かれた3社の社長会見で、パナソニックの大坪文雄社長は、こう強調した。「コラボレーション(共同事業)の作業では、お互いを尊重してしまう」「『家まるごと』ビジネスでは、ブランド統一している方が分かりやすい」。「独立」子会社の弊害を指摘する発言が相次いだ。

 平成16年のパナ電工子会社化後、同社のブランド「NAiS(ナイス)」を廃止し、創業者の「松下」を社名から外すなど、ブランド統一への執念は脈々と続いていたことになる。

 3社は24年1月をめどに、事業分野ごとに3つのグループにまとまり、新体制をつくる。14の事業体に再編するとしていた中村改革のスタート時からみると、相当な絞り込みになる。会見に同席した三洋の佐野精一郎社長は「社員には法人としての三洋は残ると伝えた」と強調したものの、三洋の事業やブランドが「解体」されていくなか、存在感が薄れていくことは避けられそうにない。

 パナソニックは、中村社長時代から肥大化した組織の再編に着手。13年の松下電子工業の吸収合併を手始めに、松下通信工業や九州松下電器、松下電池工業など上場企業を含む約10社を完全子会社化し、20年の松下電器産業からパナソニックへの社名変更など、創業以来の伝統を見直す大改革を続けてきた。目指したのは、グループすべてを「パナソニック」に一元化させることだ。

 カーナビなど車載用電子機器は通信工業や九州松下、ファクスは九州松下や松下電送システムと同一事業をグループ内で分け合っていた非効率さを改善した。すべて完全子会社だからこそ可能な改革で、パナ電工、三洋の完全子会社化は必然の流れだったといえる。巨大電機グループの8千億円強の投資が世界競争で優位に働くかどうか。改革のスピード感にかかっているといえそうだ。

松下幸之助氏に“源流”

 パナソニック(旧松下電器産業)と、同社が完全子会社化を目指す三洋電機、パナソニック電工の3社の歴史はいずれも、大正7年に故・松下幸之助氏が大阪で創業した松下電気器具製作所にさかのぼる。

 三洋電機の創業者、故・井植歳男氏は、幸之助氏の妻・むめのさんの弟。幸之助氏は創業時、歳男氏とむめのさんの3人で電球ソケットを製作していた。その後、歳男氏は幸之助氏の右腕として、松下の成長に貢献した。

 戦後に松下を退職した歳男氏は昭和22年に、三洋電機を創業した。それ以来、両社はライバルとしてそれぞれ独立した道を歩んだ。

 一方、パナソニック電工(旧松下電工)は、10年に松下が配線器具事業を分社化して設立した。松下の大番頭だった故・丹羽正治社長らが、住設建材や照明器具の分野で積極的な事業展開を行い、「ナショナル」を優良ブランドに育て上げた。

 戦後の高度成長を支えた3社だが、日本経済が新たなグローバル競争の時代に突入するなか、再び一つの企業として結集することになる。

【写真説明】握手する三洋電機の佐野精一郎社長とパナソニックの大坪文雄社長、パナソニック電工の長栄周作社長(左から)=大阪市中央区(塚本健一撮影)

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