2010年7月31日
【敗者に学ぶ】(上)井植敏・三洋電機元会長に聞く
パナソニックと必死に競争
パナソニックによる完全子会社化が決まり、「SANYO」ブランドが原則消滅することになった三洋電機。創業者、井植歳男氏の長男の敏氏はトップとして20年君臨し、同社を2兆円企業に押し上げた。その後の経営不振から一線を引いたが、5月に経営評論家の片山修氏と共著「三洋電機よ、永遠なれ!」(PHP研究所)を出版、過去の総括を始めている。昨年末に三洋がパナソニック傘下となってから初のインタビューに応じた。
--三洋のパナソニックグループ入りをどう思う
「本のタイトル(三洋電機よ、永遠なれ!)の通りだ。他に何もない。パナソニックはライバルと思って必死で競争してきた。私よりも、現場で戦ってきた人たちにとっては何とも言えない気持ちだろう。しかし、それが最善の道ならそうせざるをえない。社員が路頭に迷うことは避けなければならない」
--父親が創業した会社が他社傘下に入ることには
「そんなことを思うぐらいならば、上場しなければいい。この企業規模で(創業家が)経営権を握るのは無理だ。創業した会社が後につながり、三洋の心をしっかりと持ち続けてほしいことぐらい。ウォームハート(温かい心)の会社であってほしい」
--上場企業における創業家はどうあるべきか
「オーナー経営をできる人はやればよい。だが、求心力にならないのなら辞めなければおかしい。社員が幸せになるためにどうしたらいいかということだ」
--半導体部門など三洋の“事業切り売り”が進む
「今の時代ではせざるをえない。国内の電機メーカーは過剰で、世界のマーケットを狙える状態にない。日本市場で消耗戦のようなことをしている。再編は日本の中だけではダメだ。アジア連合などを構想しないと生き残れないのでは」
〈トップ在任中、中国の家電メーカー、ハイアールと業務提携した。アジア企業の台頭に、国内電機業界の再編は避けられないと感じたという〉
--ハイアールとの提携のきっかけは
「2000年ごろドバイなど中東へ行ったとき、日本メーカーの商品はほとんどなく、ハイアールなんていう聞いたことのない商品があふれていた。ハイアールに視察に行くと、生産規模がわれわれと比較にならないほど巨大で、工作機械も最新だった。国際競争に勝つには(事業の)整理が必要と思った」
--どんなビジョンをもっていた
「太陽電池などエネルギーに注力しようとしていた。白物家電は負けると思ったね。海外市場を切り開かないと、三洋は伸びないが、その力はない。このため大日(大阪府守口市)にあった冷蔵庫工場を閉めて縮小整理を始めた。三洋の販売店でハイアールの商品を売ってもらい、何年かかけてシフトしていこうと思った。(社内の反発などで)おかしくなってしまうから、社員にはすべてを話さなかったけど。でも、それぐらいのスピードが必要と考えていた」
いうえ・さとし 同志社大工卒。昭和31年三洋電機。テレビ事業本部長、副社長などを経て61年2月社長。平成4年会長、18年最高顧問、19年退任。同年から資産管理会社の塩屋土地会長(現職)。NPO法人の大阪ワッソ文化交流協会理事相談役などを務める。78歳。東京都出身。
(2010年7月31日 10:51)
Category:ビジネス
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