産経関西

終戦記念日対談

 

飽食の時代

 

―終戦といえば昭和16年生まれの私には空腹の記憶だけが強烈です。台湾で生まれ育った金先生の場合は少し違うでしょうね。

 

 金氏 終戦の時は11歳でした。台湾におりましたので日本の人に比べれば恵まれていたほうですが、やはり食糧難の経験はあります。私のつれあい(周英明・元東京理科大名誉教授)はもっと苦労したようです。彼は北九州で生まれて育ちましたので戦中の食糧難を体験しているわけです。そして終戦になって両親の故郷である台湾に引き揚げた。船が台湾の港に着きますと、大人たちは一斉に屋台に走ったそうです。さかなをすりつぶした団子(日本の「つみれ」みたいなもの)のスープを買い求めるためですが、ついていった子供の彼も大人から貰って初めて口にして、感激したそうです。「あんなにおいしいものをその後も食べたことがない」と今でも言いますよ。その時に初めて見た台湾に愛情を懐き、大きくなったら台湾のために何かしようと決心したといいます。食べ物のもつ不思議な力でしょうかね。

 

―桐山管長はもう社会人でした。

 

  桐山氏 25歳でしたが、結核を患い床に伏していました。友人の多くが戦地に向かったのに私だけが病床にある。肉体的にはもちろんだが、精神的にも辛(つら)い時代でした。動けない私に変わって母親が食べ物を求めてずいぶん苦労した。米1升を手に入れるため母親の衣類がどれだけなくなったことか。終戦直後に病気が回復した私が買い出しに行きましたが、食料の確保にはたいへん苦労しましたね。

 

―それが今は飽食の時代と言われます。しかし食糧を巡って世界中がざわついてきました。

 

  金氏 食糧問題を若い人たちが自分の問題として受け止めることができますかね。若い人には古くさい言葉と思われるでしょうが、人間は「艱難(かんなん)辛苦」を経験し、一つ一つ厳しいハードルを跳び越えて成長するものです。ところが今の親は子供を甘やかし過ぎです。目の前にあるハードルを高くするどころか、逆にひとつひとつ下げて子供たちが飛び越えやすいようにしている。これでは子供が成長するはずもない。まして物質的に恵まれ、着るもの食べるものにまったく困らない生活に慣らされてきた子供たちに、環境問題がどうの、食糧問題が深刻になりそうだとかいってもはたしてどれだけ耳に届くでしょうか。これは大問題ですよ。こんな若者にした大人に責任がある。なんといっても家庭に問題がある。

 

  桐山氏 ご指摘のように「艱難辛苦」を経て人間は初めて成長するのです。そういう経験がなければ成長どころか退化するだけです。結局はわれわれ大人の方に責任があるのだが、それを言うとまた若者を甘やかすだけだから私は言わないことにしている。私たちはあの未曾有(みぞう)の艱難辛苦を経験し、なんとかしのいで今日の日本を築いてきた。若者たちには、「これからの日本の進路を切り開くのはお前たちでその責任は重大だ、いつまでも親や社会に甘えてはいられない。しっかりしろ」と喝を入れたいですねえ。

 

  金氏 親がそう言えないのなら誰かが代わって言わなければならない。それが教育者だったり宗教家だったり、私たちのように社会的に発言の機会を与えられたものだったりするわけですよ。

 

  桐山氏 ところがせっかく発言の場を与えられた人たちが、なぜか尻込みして苦言を言わない。

 

  金氏 メディアの世界で発言の機会を与えられた人たちが視聴者におもねるのです。視聴者におもね、制作者側におもねる。そして政治家は有権者におもねる。大衆に向けて発言する側がなんと大衆に迎合し、その大衆が受け入れやすい方向ばかりを意識して発言する。これではますます悪い方向に行くだけですよ。

 

  桐山氏 (笑いながら)「鬼かあちゃん」としては黙っていられないですね。

 

  金氏 ハッハハ、「鬼かあちゃん」をご存じとは恐れ入ります。これは息子が付けたんですよ。母親と闘おうにも理屈ではどうにもかなわない。それが鬼かあちゃんですよ。(笑い)

 

  ―なんとなく先行きが見えにくくなってきた今の世情では、ますます鬼かあちゃんの辛口発言が求められます。

 

  金氏 言うべきことをまじめにはっきりと言う私のこんな姿勢を評価していただく視聴者の方が増えたおかげで、今のようにいろいろなところで発言する場ができるようになったのです。私も来年は後期高齢者の仲間入りで、もうなんのしがらみもないし、これ以上変わりようもありません。今の調子でいくしかありませんね。

 

  桐山氏 その直言がなんとも小気味良い。言いたいけれども言う立場にない人、言う場がない人たちに代わって金さんが発言してくれるのだから支持されるのですよ。

 

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