産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)

第4回高校生「観光」エッセーコンクール 受賞作品紹介

mainimage.jpg郷土や海外について考えてもらおうと、
「観光」をテーマに全国の高校生にエッセーを募集しました。
今回も多く の応募、ありがとうございました。
受賞作品は下記をご覧下さい。


金賞 | 銀賞 | 銅賞 | 特別賞 | 高等学校賞 | 講評

金賞 津田 春佳

「追悼の場所で・・・」

  中二の夏のアメリカ旅行は、旅行は必ず楽しいものであるという私の考えを大きく変えるものとなった。私は家族とともに、ワールドトレードセンター跡に行った。そこには、ビルの残骸はもう無く、広大な工事現場が広がっていた。中では大勢の人が、フリーダムタワー建設の為に忙しく働いていた。そして世界各国からの観光客が、犠牲者の名前が書かれたボードの前で笑いながら記念撮影をしていた。

  2001年9月11日、あの日のワールドトレードセンターの光景は恐らく今でも、多くの人々の目に焼きついていると思う。幼かった私は難しい政治的な背景など分かるはずもなく、ただ巨大な建造物を焼き尽くす炎や惨劇の映像を、恐怖の思いで見ていた。しかし時間の流れとともに、その当時の痛みも風化しているかのようだった。

  だが、通りを渡った向かい側にあるセントポール教会に入ると、空気が一変した。そこはテロ当時、救助に向かう消防士達の活動拠点であり、又、犠牲者の家族が待機していた場所だった。そして現在では、遺族の方々の手紙や救助にあたった消防士の遺品など、テロに関する展示物であふれている。手紙には言葉では表せない程の悲しみが綴られ、又、黒こげの消防服からは、志半ばに命を落とした無念さが伝わってきた。そのどれをとってみても、被害者や遺族の辛さが痛い程感じられ、テロを本当に憎く思い、怒りを感じた。

  しかし、そんな展示物の中で感動させられる物もいくつかあった。被害者を救うため全米各地から駆けつけた消防士達の腕章や日本からの千羽鶴だ。腕章に書かれた州や都市の名前から、本当に遠くから応援に駆けつけて来た事が分かった。一刻も早く現場に到着しようと不眠不休で消防車を運転していたであろうその行程は、その人達にとって生涯で一番困難な旅だったに違いない。

  そして又、色とりどりの千羽鶴に駆け寄り、不用意にも手に取った私に向かって案内の女性が言った言葉もとても印象的だった。「触らないでね。それは遠く日本から旅をしてきた大切なものだから...」その女性はトラベルという言葉を使っていた。私はそれまでトラベルと聞くと、楽しくてわくわくする旅行を想像していたが、こんなに重い使命を担って旅をする事、又、人だけでなく、人の気持ちも旅することができるのだと、その時初めて知った。

  私はグラウンドゼロはゼロではなく、世界中から集まった善意や被害者に対する哀悼の気持ちで満ちあふれていることを感じた。そして又、自分が単に旅を楽しむだけでなく、人に勇気を与える手段として利用したいとも思った。これからも、この旅のように大切なことに気づく事の出来る有意義な旅をしていきたいと思う。

▲TOPに戻る


銀賞 高石 友葉

「アイスと母、沖縄」

  常に申し訳なさがつきまとう、「遊ぶ」だとか「旅行」だとか騒いだりする自分に。
私には母がいる。化粧気がなく、年齢を聞かれると豪快に笑ってごまかし、いつもリュックで通勤するようなひとだ。真顔まで笑い顔だから喧嘩をしていても、ふと母の顔を見て顔と態度のギャップにふき出してしまいさらに怒られることもある。しかしたまに不安になるのだ、母は本当に笑っているのかと。

  いつもいつも母は自分の分を我慢する。コンビニでアイスを買うときに母はいつも「お母さんはええわ」と言う。「じゃあ私が買ってあげるよ」なんて偉そうなことは言えない。母からもらったこづかいを使うということは、結局母の我慢の結晶を使うことになるからだ。だから、後でこっそり買う。家に帰ってわざと大きな声で「腐るからはよ食べや」と言う、自分を納得させるために。自分が使った母の我慢を無理やり正当化させるために。アイスだから腐るわけがないというのに。「ありがとう」という声も聞こえないふりをする。自分は私に沢山費やしてくれているのにたかがアイス一個でお礼を言うなよ、なんて言いたくなる。申し訳なくなる。何もかもが。でも遊びにいってしまう。旅行と聞いて騒いでしまう。そして思うのだ。「母は今笑っているのか」と。

  私が中学二年の時、家族で沖縄へ旅行に行った。母は旅行中いつも笑っていた。くだらない、本当にくだらない理由で。きっと日常で同じような笑顔を見ても私は本心から母が笑っていると素直に思えなかっただろう。しかし、旅行でうわついた私の思い込みなのか、旅行で解放的になった母の本心なのか、私は母の本当の笑顔を見た気がした。これが旅の力か、なんてその時の私は訳のわからない納得をした。全てが楽しかった。

  そして今年、私は修学旅行でまた沖縄へ行くことになった。行っていいん、と私は母に聞いた。当たり前やんか、と母は洗濯物をたたみながら言った。申し訳なかった。

  お土産にさんぴん茶と塩飴を買った。本当にいくらもしないものだ。母は今もテレビの上に飾っていて、なかなか食べようとしない。 私は申し訳なかった。母に負担ばかりかけてなにもできない自分が。小さな幸せを大切にする母に。

  学校をやめて働こうと思ったこともあった。しかしふんぎりがつかず、結局私は今も学校に通っている。母の優しさに甘えて自分の楽なほうに流れたのだ。しかしその優しさが永遠でないことぐらい分かっている。母は最近老眼だとぼやくようになった。

  そんな中、最近私は夢を持つようになった。それは私の稼ぐお金で家族全員を沖縄につれていくということだ。今までの我慢が全部無駄になるくらい無駄遣いさせてあげたい。高い化粧品、空港までリムジンがお出迎え、なんていうのもいいかもしれない。ホテルの部屋はスイートルーム。窓からは海が見える。ルームサービスを好きなだけ頼んでゆっくりする。キングサイズのベッドで飛びはねて、疲れたら高級なアイスをほおばる。高級なアイスの味なんて知らないから皆で大騒ぎして食べたあとに「あまりいつものと変わらんね」と言うかもしれない。そして、みんなで笑う。その夢の実現のために一体どのくらいのお金がかかるのか分からない。でも絶対に実現するという決意を私は固めている。

  その夢を叶えたら次はどうしようか。私はきっと、一度も海外にいったことのない家族との海外旅行のために働くだろう。そうやってどんどん日々を過ごしていって、行ったことがないところがないくらい家族と旅をしたい。話がしたい。くだらないことで笑い転げたい。そのためにこれから私はできるかぎりの努力をして、母に恥じないように夢を持ちながら地に足をつけて生き、存分に親孝行していきたいと思う。旅への思いを原動力にして。

▲TOPに戻る


銅賞 安井 さつき

「地球を見て」

  高校に入学する前の三月、私は家族とインドネシアのバリ島へ旅行に行った。母は旅行の費用が安く済むと嬉しそうだった。というのも、私たちがバリ島で過ごした三日間のうち一日はニュピといってバリのヒンドゥー教の祝日のため、ホテルの部屋から出ることが禁止されていたからだ。ニュピとはサカ歴の新年で、悪霊がバリ島にやって来ると信じられている。悪霊にみつからないようにするため、バリ島では火の使用や、外出、労働、灯を灯すことが禁止され、一日瞑想して過ごす日とされている。ホテルは例外として営業しているが、灯も少なく、レストランも早々に閉まり、観光客はホテルから出られない。母から最初その話を聞いた時、私は呆れてしまった。ホテルでただじっとしているだけなら、わざわざ海外へ行く理由が無いではないか。いまいち納得できないまま、荷物には高校から出された春休みの課題を詰め込み、私たち家族はバリ島へと旅立った。到着したのは深夜で次の日はニュピ。旅行に来たというのに一日の予定は何もない。私が起きたころにはもう昼近くになっていた。体調が優れずプールにも入らないで、部屋で一人で春休みの課題をしていた。妹が昼食に誘いに来た時に時計を見て驚いた。三十分のつもりが二時間近く勉強していたのだ。活動している人間が少ないと、辺りは非常に静かになるものなのだ、と感心したのと同時に、ニュピも悪くないかもしれないと思った。

  そのまま夜になるまで自分の部屋で勉強して、両親の部屋で日本から持ってきたカップラーメンを食べた。それからシャワーを浴びようと思い自分の部屋へ洗面用具を取りに行こうと廊下に出た。部屋のドアを閉めた途端、私は一歩も動けなくなった。何も、見えなかった。廊下の灯は一つもついておらず、真っ暗だった。とても怖かったが、ふと空を見ると恐怖は消えた。生まれて初めて見るほどの数の星があった。心が洗われる様だった。

  きっとあの日私が見たバリ島は地球の本来の姿に限りなく近いものだった。それは、一歩間違えれば飲み込まれそうな恐ろしさと、包み込まれるような豊かさを兼ね備えていた。地球は私たち人間が支配できるような物ではない、というようなことはすでに使い古された言葉かもしれないが、私はこれからも何度も声を大にして言っていきたい。見た者にしかわからないことは山ほどあるのだから。あの日バリ島にいた私にとって地球は絶対に支配できないものだ。自然のままの地球を大切にしたいと心から思えるようになった。

  今回の旅行で私は観光スポットと言われるような場所を見に行くだけが旅行ではないと知った。日本ではあまり深く考えなかったことを考える機会があった。まさかここまで有意義な旅行になるとは思わなかった。

▲TOPに戻る


特別賞 武田 北斗

「オカンと東京」

  「北斗っ。駅弁買うて来るわァ」

  新大阪駅のホームでのぞみを待ちながら、オカンはテンション上がりまくりですんごい御機嫌だ。僕がある賞を受賞し、その表彰式で今日は東京に二人で 招待されたのだ。

  「のぞみって初めて乗るんよ。」

「あんたと二人っきりで旅行みたいやな。」朝からうれしい、うれしい、幸せやの連発のオカンは車窓を流れる風景にもコメントを入れ続け、家から持参 したDSが全くできない。赤いレンガの東京駅を立ち止ってながめ

  「テレビと全く一緒やん」

って当たり前やろと僕にツッこませて、クツ磨きのおっちゃんに道を聞き、強い風の中を二人歩いた東京の街。会場では審査員で作家の中沢けいさんや荻野アンナさんをうっとり見つめ、表彰式では僕にひときわ大きな拍手をして涙ぐんでたオカン。祝賀会の立食パーティーでは生き生きと動き回り他の受賞者の家族さんと昔からの友人かと思う程うちとけて笑いころげていた。僕は料理に夢中になっていたが、ふっと見ると大皿に残ったサンドイッチをオカンが紙ナプキンにクルクルッとくるんでいる所だった。

  「何してんねんっ!!」

  思わず大声を出すと

  「残りもん持ち帰るのもエコやで。もったいない。帰りののぞみの中であんた、お腹すいたらアカンしな。」

  オレのためなのか?

  「別にいいですよねぇ?」

  急に同意を求められたアナウンサーの吉田さんは

  「その通りです。エコですよねっ!」

  と全くひるまなかった。さすがプロの受け答えは違うが、他の家族さんからは

  「大阪の人はやっぱりすごいね」

  と言われているのが聞こえた。浜松市生まれなのに、いつから大阪のオバチャン化したんやオカン。顔から火が出そうになりソーッと遠ざかろうとすると

  「北斗っ!!アンナさんと写真とってもらいっ。アンナさーんっ!」
とアンナさんに向かってバタバタ走り寄りながら僕に手まねきをしている。結局アンナさんと写真をとり、吉田アナともとり、おしゃべりもはずんで大満足で会場をあとにした。新幹線はコミコミで立ちっぱなしでサンドイッチを食べる所じゃなかったが

  「北斗に東京連れてってもらったわァ。」
と僕にありがとうをくり返すオカンは立ち続ける疲れもなんのその、心底無邪気に喜んでいる。この人を泣かすような悪い事は一生できへんなァと少し感慨にふけって俯くとオカンはハイヒールをぬいで立っていた。

  他人から見れば旅とは言えない一日だけどオカンにとっては一生もんの日帰り旅行だったらしい。後日オカンの友人達からもほめまくられ、アホボンから自慢の孝行息子に昇格した僕は今日もクラブにバイトに忙しく生きている。今度は飛行機乗ろうな。いつか旅行に連れていく。予定は未定だけど。

▲TOPに戻る


高等学校賞
▲TOPに戻る


講評 審査委員長 大谷 昭宏氏

 4回目を迎えた高校生「観光」エッセーコンクールの作品は、内容的にも毎年進化しています。全体的に文章力や構成力に優れた作品が目立ち、その中から、審査の先生方と熟考、精査して受賞作品を選ばせていただきました。

  特に今回は、金賞と銅賞に1年生のお二人が入られました。1年生と言うことは、15歳、16歳という年齢です。そのような若くて瑞々しい作品に触れられるこの時期になると、事件事故の取材などで一年中、社会の暗い部分、負の部分を見ている私としましては、この国の将来に自信を持ちます。私たちの次の世代の、また次の世代に、そう心配することなく自信を持って将来を託せる、毎年そういう思いを持たせていただいており、審査委員冥利につきると思っております。

  金賞の「追悼の場所で・・・」を書かれた津田さんの作品は、アメリカ・ニューヨークに家族で旅行したときのものです。銅賞の安井さんの「地球を見て」はインドネシア・バリ島を家族で旅行したときのもの。他にも候補作品をみますと、マルタ共和国、オーストラリアでのホームステイ、それから中国、あるいは台湾と、最近の高校生はとても贅沢だなと思ってしまいます。

  金賞の「追悼の場所で・・・」では、9・11同時多発テロ現場であるワールドトレードセンター跡を訪れ、そこで犠牲になられた方に思いを馳せた経験を書いておられます。

  銀賞の高石さんの「アイスと母、沖縄」はアイスクリームをモチーフにして、母への思いと、してみたい旅を感動的に描いたものです。特別賞の武田君の「オカンと東京」でも「お母さん」が表現され、「お母さん」が登場する二作品が受賞対象に残りました。審査の結果は、高石さんの「アイス・・・」に銀賞、武田君の「オカンと東京」については、大変おもしろく、文章も非常にうまいという評価で特別賞ということになりました。ただ、リリー・フランキーさんのベストセラーで映画化もされた、「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン」は当時、大変な評判になり、恐らく読んでおられる審査委員の皆さんはそれへの思い入れをお感じになったと思いますが、私自身は、この作品を面白く読むことが出来ました。

  銅賞の安井さんの「地球を見て」からは、バリ島の祝日「ニュピ」を体験することから、「地球は人間が支配できないもの」「自然のままの地球を大切にしたい」という思いを感じました。日常、効率的に動いている私達に、あらためてその大切さを気づかせてくれる作品でした。

  金賞の「追悼の場所で・・・」で、グラウンドゼロは決してゼロではなく、いまでは世界中から集まった善意や、被害者を悼む気持ちにあふれているのだと表現した津田さんの感性にふれ、大変嬉しく、また、頼もしく思いました。高校生の皆さんには、大人と違った生々しい眼差しが光っています。

  今回、これだけの作品をお送りいただいたことに感謝を申し上げ、また来年もすばらしい作品に出会えることを楽しみにしています。


【主催】
産経新聞社 大阪観光大学

【後援】
観光庁 大阪府教育委員会

【審査委員】

審査委員長

ジャーナリスト

大谷 昭宏

審査副委員長

大阪観光大学 学長

槻本 邦夫

審査委員

関西国際空港(株) 相談役

村山 敦

審査委員

(財)大阪観光コンベンション協会 会長

津田 和明

審査委員

大阪観光大学 観光学部長

中尾 清

審査委員

産経新聞大阪本社 編集局文化部長

真鍋 秀典

▲TOPに戻る

企画制作 産経新聞大阪本社営業局

ご意見・ご感想はこちらへ

産経新聞インターネットメディア

関連リンク